ヴェトナム新時代―「豊かさ」への模索
最近のベトナムを知るにはいいが、歴史を紐解くには物足りないかもしれない。タイトルがそうなのだから、そうだろう。
かなりまとまった本だが、在る程度の知識がなければならないことも確か。いくつかの本を通過して、この本に辿りついているので読み易かったのかもしれない。でもかなり読み応えのあるホンダ。
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最近のベトナムを知るにはいいが、歴史を紐解くには物足りないかもしれない。タイトルがそうなのだから、そうだろう。
かなりまとまった本だが、在る程度の知識がなければならないことも確か。いくつかの本を通過して、この本に辿りついているので読み易かったのかもしれない。でもかなり読み応えのあるホンダ。
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森達也の本でなければ、思考術というくらいだから定型的なスキル本と思っても変じゃない。編集部はそういう間違って買う、ということを前提にタイトルを付けていると思う。
さて、内容だが、エッセイ集的なもの。
これまで読んできたことと重複する箇所が多々あり(雑誌などに出した原稿の寄せ集めだから当然そうなる)、森達也の玄人には必ずしも満足いく内容ではない。しかし、それは内容が悪いということではなく、内容はかなりすっきりとしたもので読みやすい。著者の性格もあるが、基本的には謙遜なのだと思う。
視点をずらす思考術が私に必要かどうか・・・すでにすれてる感あり。
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越南・韓国・中国・沖縄・台湾・香港については2月・3月に一気読みしたが、既に半年。せっかく勉強したが、地名やら歴史やらの記憶が薄れてしまっている。
そこで、再度。しかし、体系的に書いている本より、バラバラと旅行記を書いている異文化の日常を感じたいと思い、読み始めた。
同じ日常でも、体系的に美しく書こうとしている本とは異なり、かなり雑な日常を描いてくれているが故に、楽しく読めるし、関心に広がりを持つことができる。カラー写真の ひとコマ ひとコマ も背景があり、面白い。
HONGDA・・・今はもう観れないのかな。
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これも仕事の関係上、無理やり読んだ本。思った通り、全然面白くない。ちょっとまとめすぎている感あり。具体的に説明していないため、抽象的でわかりにくい。一つの章で一冊の本が書けそうな箇所が何か所もある。
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仕事の関係上、無理やり読んだのだが、全然面白くない。後半で「なるほどな」というところは2か所くらいで、あとは当たり前のことが書いてあるだけ。
なるほどな、と思ったのはネット・GPSで飲食店にアクセスすることが容易になることによって淘汰される、土地の価格が変動するといったところ。土地の価格までは想像しなかったなぁ・・・ってそれだけです。
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諏訪哲二氏の新書です。
まず、帯。小林よしのり氏推薦ーという帯が気に食わない。諏訪氏が小林よしのりと同じ思想だとは思わないのだが・・・出版社は何か勘違いしているのでは?売れなくなるようにも想うが・・・
さて、内容はヘレンケラーの話から始まる。とにかくこの本の一貫した論理は啓蒙・文化・真理という学びの道筋である。その啓蒙から文化への道筋をヘレンケラーのWATERから導いている。確かに興味深い。
本論に入ると、斎藤孝-苅谷剛彦・西研-蔭山英男-内田樹-義家弘介-寺脇研-渡邉美樹の教育論議を評価する。個人的には苅谷・西と内田は好きな学者なので、どうかと思ったが、私の評価とそれほどズレてもいなかった。内田は言説の指摘をしている。
最後の渡邉美樹はワタミの社長だが、それを引用しながら、トップダウンが教育に馴染まないことを指摘している。この点もかなり興味深いところ。
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森達也著です。オウムで日本が、9・11でアメリカがスタンピード化している世界を紐解き、読者に見せ、そのスタンピードの不安状態の中でマスコミが報道する過剰な被害者遺族の叫びに共鳴し、存置を大多数が支持する「死刑」。一連の流れ・繋がりの中で森達也は読者に問いかけ続けている。
存置派も廃止派も双方のインタビューが掲載されており、読者が自問自答しながら、疑問を拾いながら森達也と一緒に考えることになる本。森達也曰く「死刑をめぐる三年間のロードムービー」。確かに。森達也自身探りながらの取材であったであろう。それが最後の言葉に説得性を持たせる。
とても重く。
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AとA2のDVDを観て、「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」も読み、さらに今回「A」を読んだのだが、逆だったらしい。
DVD「A」と文庫「A」、そしてDVD「A2」と文庫「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」が関連系というのが読み終わってからわかった。だから、DVD「A」については、こちらの本の方が映画とリンクしていて、映像と重複するところもあり、理解が進む。しかし、重複しているだけに退屈でもある。興味深いのは後半の重複していない上映前後の話。
正直、何度も驚かされている森達也の本だが、この本で全てが繋がった・観えた感じがした。それを明記しておこう。
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べた褒めするほど好きではない「香山リカ」。なぜかと言えば、躊躇いの無い記述にあった。謙虚さに欠けるという点で、森達也とは対照的。新書とは言え、多少躊躇いがあって当然だと思っている。
しかしこの本、躊躇いがある。さすがに気がひけたのかあとがきでは謙虚になっている。
本の前半はそんなに面白いとは言えないが、自己責任論批判からは俄然面白い。偶然なのか必然なのかわからないが「自己責任」について考えさせられる本が続いている。生命倫理からの継続課題。
「自己責任論はおかしい」、というところを自分で説明できるか、と言えば、私は説明できる自信がない。それを森達也も述べていたのだが、「何かおかしい」から「ここがおかしい」に私なりに昇華させたい。あくまで「私なりに」だ。借り物の論理ではなく、自分自身が納得し、論理的裏付けを行いたいのだ。
その中で香山リカは自業自得と同意で使われている「自己責任」に問題提起している。これは何となくしっくりくる。一つの論理としてさらに継続課題としよう。
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http://www.qualitynet.co.jp/koukoku/kumabunko.pdf
恐らく北海道でしか売っていない。アマゾンでも売っていない。
月刊クオリティから出された「くま文庫」(たぶん北海道らしさを出したかったネーミング)で、このシリーズは8冊発行されている。コーチャンフォーでは山積みにされていた。
私の職場は・・・と探してみるとあった。その中で3曲が掲載されている。「あれ?」と思ったが、そういえば、電話で問い合わせがあって、私がFAXで返信したんだった。
こう並べてみると、かなりいいと思う(ひいき目か?)。
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雑誌的に読む本としては良いのだが、新書としてはどうよ!?って感じのする雨宮の本。他の新書からの引用も多い。
貧困については湯浅の「反貧困」で十分とは言わないまでも、凡その概要が掴めるし、現代の危機感は感じることができると思う。これをあえて読むのは、「もっと貧困のサンプルが欲しい」ということにはならないか。
論述も少し乱暴かと思う。述べている事を否定する気は無いし、むしろ賛同したいという想いはある。しかし、この著者に共感したくない、この人と一緒に運動はしたくない、という感じがしてしまう。それは情緒的な面が全面に出すぎているように感じるからだろうか?
雨宮の本は一冊しか読んでいないのでわからないが、しかし、さらに読もうとも思わないし、雨宮さんについて知りたいとも思わない。前述したように引用が多いため、彼女のオリジナルメッセージが乏しいのかもしれない。
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自尊心と傲慢の違いは何だろう?誇り、プライドって?それらは全て自尊感情?著者は「セルフエスティーム」という日本人の傲慢と自尊の次元の違いを示しているが、この点は読んでも明確ではない。一番知りたい事が書いていない。ネットで調べても、この傲慢と自尊の違い、または同居ということについては千差万別だ。述べている人の問題意識によって変わってしまう。
そういうことを色々と考えつつ読んでいったところ、要するに傲慢と自尊のバランスなのかな、と考えた。だからこそ、常に自制しなければ傲慢になるし、一方、他者に言わないまでも多少、傲慢に思えるような自己評価があってもいいのだろう。
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非常にやさしいタイトルだが、あえてこの本のキーワードをあげるとすれば、「stampede」「憎悪」でえはないだろうか。何冊も彼の本を読んでいるが、映画「A」とこの件に関しては、この本が出版されて以来、書き控えているように思う。だから、この本で一旦まとめとして、この本の後は働く方向性を変えたのではないかと思っている。この後からAを一般化し始めたのではないか、と。
タイトルからは読む気がしなかったのだが、この本がターニングポイントとなっているかもしれない。
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プラトンの作品は、大学1年生の夏休み「饗宴」を読んで以来。饗宴の印象がわけわかんねーな、っていう感覚があったので毛嫌いしてきた感があるが、20年の歳月を経て読んでみると、やはりすごい。
何が凄いか、と言えば、対話形式で昇華していく様だ。こういう対話が教師と生徒ができるなら、教育は変わるだろうなぁ、なんて思う。
また、「徳」というテーマも興味深い。最後はここかぁ・・・そんな感じで読み終える。キリスト者私にはなるほど、となるが、他の方々はどうであろうか?
この本は、同僚の方が最後に遺言的に推薦して去っていった本。あれから1年程度が過ぎてしまったが、なるほど、推薦するだけあります。
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生命倫理の本である。
珍しい思考をする人だが、なるほど、という部分も多いし、この本を読んで刺激された結果、私の思考もまとまってきた。私にとっては肯定できる面と否定する面が半々という本。
論理はわかりにくい。もう少し、著者の頭の中で整理してから本にしてほしい感じがする。主観を恐れずに書いているが、この主観も主観がゆえに誤解するし、わかりにくかったりする。
「共決定」と言いつつも、「共同体」を否定。しかし、あなたの言っていることは共同体主義って言うんだよ。否定することでインパクトを与えているが、「共同体主義」を取り違えているように思う。世界という枠組みんの中での共同体主義でいいではないか、と思う。
また、「ノンと言い続けることの重要性について」語っているのだが、私は嫌い。反対、反対、反対・・・それがアイデンティティーのようになって生きている人がどれだけ多いことか。アイデンティティの無い人が「反対」でアイデンティティを表現したがる。それはアイデンティティではありません。マイナス表現でなくプラス表現でもアイデンティティは主張できることに気付かない人たち。吐き気がする。反対と批判・批評・評価は違うと思う。反対している人は評論家になっている場合が多すぎる。実在には評論家は不要だ。実践家こそ必要なのだ。
私はこの本を読んで。「命は関係性の中にある」と定義するに至った。著者とは意見が一致しているわけではない。全く違うわけでもないが、一つの刺激として必要な本でした。
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死生観というキーワードから、バイオエシックス(生命倫理)へと渡り歩いている。この本は、8月5日出版で、臓器移植法改正後の新書なので、情報が新しいし、整理されている。特に、自己決定の思考を深めていることが興味深い。さらには、各章で「問い」をたてているところもうれしいところ。
結局、この臓器移植改正以前に、日本の生命観はどこにあるのか、ということが議論されなくなければならないのに、されずに改正されてしまった一つの要因、「自己決定」というフィルターを警戒しなければならないと思う。
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このミス大賞作の一つ。一つというのはダブル受賞だから。
たまには小説をガッと読んでみようと思ったのだが・・・選択の失敗。
この高校生という設定は辛いものがあるのだが、このミスだから読んでみた。前半は展開が良いが、後半は飽き飽き。何なんだ!このミスは?
ダブル受賞したのが、この作品だとすれば、相当レベルが低いのではないか。もしくは、ただ出版社が売りたいだけ。
唯一、なるほど、と思ったのはアメリカとテロリストの関係設定を描いたラスト。そうかもなぁ、と思わされた。でも、小説としては面白くないよ。
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帯には「ビーチに遊びに行く格好で学校にくれば、ビーチと同じ行動を取ります」とある。かなり興味深い。
1980年代以降、日本では制服に良いイメージが無い。何のために?の質問に必ずしも答えられない状況は続いているように感ずる。これはマスコミの仕業だと思う。無責任に叩いておもしろおかしくしてしまうその罪は重い。その一方で、大衆は強化しつつも、保護者や生徒は制服の無い、自由服の学校を選ぶわけではない。この矛盾から脱出するには学校が変わるしかあるまい。
そういう意味で貴重な本。制服を肯定的に述べている。でも、制服の本なんだから、カラーにすれば?と言いたくなる。感心したのは明治時代に女性が学ぶことによって発生した女性の袴。
勉強になった。
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2年前に読んだ本なので再読です。講演会の都合上、再読した。特に歴史の箇所は難解なのだが、あらためて読むと、それがかなり説得力を持つことがわかる。いやはや凄い本だなぁ。新書なので、かなり省略していると思う。まだまだ深めることができそうです。
改めてリベラルアーツを確認。
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一応、福岡伸一氏の本はすべて読んでいるので、これも例外なく読もうということで購入。今回はタイトルがいいと思った。以前読んだ本の中でも、顕微鏡を覗くことに対して、こういったことを述べていたことを考えると、ある程度の結論は予想して読み始めた。
これまでの本よりも非常に読み易い。あえて読みにくいとすれば、スペクターの神業という最後の方。ここでは実験操作を言葉で説明するがゆえに、化学を専門としている人ならいざ知らず、そうでない人にはイメージが掴みにくい。しかし、読み進めていくと、その作業自体はあまり理解できなくてもわかるので、我慢して読む必要がある。
もっとも印象に残った言葉は「動き続けている現象を見極める事」。確かに過去や止まっているものについての分析には一生懸命だが、動き続けているものに対して普遍性や真理を見出すことに情熱をかける人は極めて少ない。
そう、そこに情熱をかけるならば、かなり熱心に読書をするなどの知見を広げなければならない。福岡氏の言うように、顕微鏡のレンズから見える世界だけを観ていてもわからない。自分の専門外も含めて世界全体を俯瞰しようとする(できないが)知に対する情熱がなければ探る事も関係性を観ることもできないのだ。
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絵本です。あるきっかけで死生学を学ばなければならない私は、こういった単純なもので理解を進めていくしかない。
ねずみさんの勇気に拍手!
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恥ずかしながら、約1年ぶりの再開となったデューイ。読んでいくうちにわかったことだが、全く体系的には書かれていない。がゆえに、連続・継続して読まなければならないわけではなく、その都度開いて読むことも可能な本。
しかしながら、難解。一日1章を読むのが精いっぱい。激しくインスパイヤされるものの、読んだ量は10ページに満たなかったりする。それほど濃い。
一生に何回読めるのか、そんなことも想像してしまう。
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下山ケースについては、数々の推測本が出版されており、特に下山ケースを究明したいならば、この本ではない。
御存知、森達也の著書であるが、「森達也だから読んだ」にすぎない。
私は何人かの「えこひいき」して読む本があるのだが、ジャーナリストとしては森達也が一番しっくりくる。思考の仕方や、問題に対処するスタンスが共感できるからだ。彼は9月に北海道で講演をするのもあって、ちょっと気になる存在でもある。
この本は、森達也が下山ケースを追跡した記録であって、下山ケースを暴く本ではない。そういう意味で、主人公は下山周辺ではなく、森達也だ。
1949年7月5日に起きた下山ケース。ちょうど50年という今年の7月に読んだことが何とも偶然なのか、必然なのか・・・不思議な思いが残る。だからといって、出版されている様々な本を読み漁って、この事件を究明したい、などとも思わないのだが・・・。
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小林敬三氏の著書。2冊目だが味わいがある本。カトリックの司祭なのだが、次のような言葉の引用もある。
「愛名は犯禁より悪し、犯禁は一時の非なり。愛名は一生の累なり。」(「正法眼蔵」行持下)
愛名:手柄を立てたい、己の功績を人に認めてほしい、人の上に立ちたい、目立ちたい
犯禁:殺人など
常識的には罪の重さとして「愛名<犯禁」と思いがちだが、この言葉はその逆「愛名>犯禁」と説く。
なるほど。
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秋田喜代美の執筆。 「学力問題への問い」
ここでは政治と学力論争の関係、そして今後の教育学者による研究課題が整理されている。基礎学力をつけるためのモデルは無い。
私は、この本のこれまでの内容で、まさに教員一人ひとりが「学力問題への問い」を持ち続けることこそが基礎学力モデルなのではないかと思える。
いずれの方法であっても、生徒の現状把握や理解、そして教材の精選と教員自身の新たな発見の中でしか、授業の新鮮さは保てないのではないだろうか?PISA型学力のパッケージ化が進んでも、本来的なPISA型学力がつくわけはなく、ただの受験学力にしかならないことは明らかだろう。それはベネッセの小論指導の内容でも明らかなように思う。あれは失敗する。教師が探究し続けるーその姿こそ、教師のPISA型学力の体現となるのではないだろうか。
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秋田喜代美による執筆。 「質の時代における学力形成」
かなり具体的な内容となっている。面白い!
□教育方向の質
マスコミと実態が噛み合っていない振り子現象
□構造の質
量を増やすことは意欲に直結しない「楽しくリラックスした雰囲気」「自分の興味や関心のあることを学べる授業」が求められている
□教育過程の質
PISA型学力によって、対応パッケージという逆流現象が生じている一方で、表現・思想・読解の一貫性を持たせる取り組みもあり、一定以上の効果を表している面もある。この対応は以下の5つに分類される。
わかっていても実践がついていかない、ということが少なくないようだ。この点については、
パイオニアによる授業の過程では、子どもの学習過程や相互作用をきわめて敏感に捉え、それに応じてsひゅう制されながら実践が生み出され実施されていくが、完成されたノウハウを聴く側にとっては、豊かな実践の複雑な状況でのやりとりと、そこでの子どもたち学習過程は捨象される、という。なるほど、当事者とそれをトップダウン的に聴く側とでは異なることは理解できる。だからこそ、「実践の水準の談話に自らの言葉で翻案し、目の前の具体的実践と関連付けてとらえ語る事」が求められているという。
さて、これだけではないのだが、以上の点がグサリと突きささる内容であった。この点については真摯に受け止め、改善していかなければならない。
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市川伸一の執筆。 「学力概念と指導・評価」
以前、書き込んだ「教えて考えさせるっ授業」のコンパクト版とも言える。ただ、この中でCOMPASSについて言及している点が興味深い。理解を分解し、それを点数化していくしくみだが、本来、こういったものは教師毎に対応して済んだはずなのでは?という思いがある。しかし、多様化と共に必要性が出て来たのかもしれない。このシステム云々ではなく、教師個々人がCOMPASS的視点を持つことこそが必要なのではないだろうか。
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執筆は小川正人。 「学力政策を支える教師の労働実態と課題」
実はこの本の執筆者の中で小川正人氏だけは知らない。本を読んだことがない。ただ、執筆内容については興味深いものがあり、管理職も組合も意識しておかなければならないものであろう。
管理職にとっては都合の悪い内容である。札幌地裁と京都地裁による時間外勤務手当請求事件判決は管理職にとって都合の良い判例ではあるが、この前提をわきまえられると困ったことが起きる。
教育現場では、時間外労働は常態化している。部活動の練習時間コーディネートは顧問が行うが管理職は絡まない。これは自主的にやっていると判断されるが、当面部活動の目標なり、教育視点については要求されるので顧問は勤務時間内に終了させることは不可能だ。しかし、不可能な勤務が常態化している。
執筆者は調整手当ではなく、時間外勤務手当として改編すべきと述べるが、しかし、現場はそうはいかない。管理職がある程度の制限を加えれば、教育力は後退する。うむむ・・・解決の糸口はつかめないのだが・・・
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苅谷剛彦の執筆。「学力調査と格差問題の時代変化」
この記事で特に印象深いのは1960年代の学力問題と2007年の学力問題を比較している点にある。
1960年代は建前にせよ、全国学力テストは、全国都道府県の学力格差を無くすことを視点に置き、学習環境を改善していく目的があり、そういった分析がなされている、ということである。しかしながら、現在の全国学力テストについては、そういった分析も未だなされず、何のために全国学力テストをやっているのか、主催者自身がわけがわからなくなっているのではないだろうか。明らかに都道府県を競争させるためにだけ、全国学力テストをやっているのが現実か!?
この原稿ではかなり説得力のあるデータが示されてしまっている。この認識に公立の教育者が立つかどうか。
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恒吉僚子執筆。 「グローバル化社会における学力観」
おおまかには、東アジア(日本、中国、シンガポール、韓国)と欧州、アメリカという枠組みでの視点がある。勿論、欧米が正しいなんていう戦後の価値観を提案しているわけではないが、TIMSSで数学が1位となったシンガポールの底辺校が民族的マイノリティ(マレー人)が目立つこととは対照的に、アメリカでは人種的マイノリティの教育機会均等問題が中心的課題となっていることは、やはり求められる学力が異なっている。
これを執筆者は「教科準拠型」と「教科再構築型」に分類している。
結果的には、誰のための何を目指すのか、どのような学力に対して有効なのか、どのような目的のための学力か、どのような子どもにとっての学力なのかを明確にしなければならない。
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金子元久氏の執筆。 「近代の学力像とその社会的基底」
彼の文章は難しい。「大学の教育力」を読んでいるからまだ、近い感じがして読めるが、そうでなければ、かな苦戦するものとも思われる。
ここで重要なのは2つの学力観を分類していることにある。それは教科型学力形成と対処型学力形成である。PISAや共同的な学び、探究、調べ学習などを一括して「対処型学力」と括った事はすっきりするのだが、その二項対立が日本の教育を2つに分断するのではないだろうか、という疑念も持つ。
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佐藤学氏の執筆。 「学力問題の構図と基礎学力の概念」
これまでも何冊も読んできていることもあり、凝縮された言葉でも理解できる。日本、そして世界の教育界で論議される「学力」。
新学習指導要領への鋭い指摘をしている。「高度知識社会への対応、多文化共生社会への対応、リスク社会・格差社会への対応、市民社会の成熟に向けての対応、という4つの対応が求められているが、実際には「高度知識社会への対応」しか言及していない。」という事実である。色々と綺麗事を並べるが、実際に政策を施行する段では、それしかやらないのだ。
しかし、そもそも「学力とは何か?」が定まっていないし、今後も定まらない。多様な立場の「学力」があるが故、どれが正しいとも言い切れないところに学力論争の難しさがある。PISAが絶対的学力でもなければ、読み書き算盤もちがう。全国的に、初等中等教育はバラバラの方向へ進みそうだ。PISAをやる学校もあれば、読み書き算盤だけやる学校もあり、すべてをやりきろうとする学校もある。
教育学者が検討すべき課題を佐藤氏はあげているが、しかし、教育実践者に求められるのは、社会の将来像へ想像力を働かせ、学び続けていくことのできる(基礎的な力に上積みする、新しい世界を理解する、そして「知りたい」という意欲)社会へ橋渡しをする教育を研究しなければならないのではないだろうか。
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6月末に「基礎学力を問うー21世紀日本の教育への展望」が出版された。
執筆者は教育学分野では著名(すぎる)人たち(金子元久、佐藤学、恒吉僚子、苅谷剛彦、小川正人、市川伸一、秋田喜代美)ということで発売と同時に購入した。
ただ、この本、内容がかなり濃い。デューイほど凝縮されているわけではないが、執筆者の背景も含めて言葉を一つひとつ咀嚼しつつ自分のものにしていかなければならない。
そういう意味で、一冊丸ごと感想をブログ化することはもったいないので、章毎にしていく。
プロローグは金子元久が執筆している。
「基礎学力を問う」ということで、これまでの日本の論議において「学力パニック」が生じたことから、社会的にもかなり長期的な学力の見通しを持つべき事が述べられている。
その通り、一定の到来する未来社会を見据えた学力観が必要だ。個人的には長期的にみると、やはり「多文化共生社会」であろうかと思われる。教科だけ、とか学校だけ、とか、生き残り策だけ、というような学力観は危険である。20年後40年後を見通した学力観が求められるのが今の時代だし、それを教育者のみが見ているのではなく、保護者と一緒に見ていくことが必要だと思う。
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30年ほど前に出版され、今では絶版となっている小学生用ヘボンの伝記。小学生用なので漢字で書かれるべき所がひらがななので読みにくく、意外に読破するのに時間がかかった。
明治学院よりも、ローマ字と聖書・印刷というこの時代の困難さにアクセントがある。数少ない資料で出来上がった伝記なのだろう。大体のことは知っている事なので、発見などは正直なところない。
しかしヘボンを知るには手っ取り早い一冊。
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久々の快作。かなり面白い。
ショートの寄せ集めだが、失敗は無い。特にジョーカー・ゲームというショートには脱帽。あえて言えば、最後のXXについては、事件の真相は誰にでも予想できるように思う。だから読み手としては、事件の真相よりも、なぜ気付かないのか?という点に焦点が絞られる。この常識にとらわれない視点のズレが面白い。
ちなみに2009年本屋大賞ノミネート3位の作品(1位は告白です)。
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自分の欠けを前面に出し、聖書のメッセージを染み込ませるように説く。そんなエッセイ。
よく、ここまで正直に書けたなぁ、と感心する。
でも、ここまで書いてくれたから、「ああ、こんなこと考えてたんだ」なんてことを思ったりして、共感したりする。それは今の私の立場がそうさせるのかもしれない。
こんな風に正直に、真実に自分と向き合って語ってくれれば、皆、赦すのに・・・そんな残念な思いもある。
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絵で解説しているのでとてもわかりやすい。だけどこれ一般的な哲学なの?ある個人の哲学ではなくて?哲学を勉強していないから、よくわからないが、眺めて納得しながら読み進めていくことのできる本。
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寝ながら読めるわけではなく、「寝ながら学べる」とことにみそがあるのか?寝ながらは学べない。
200ページ程度の親書だが、前半はやや難しさを感じたのだが後半はすいすいと読みくだくことができたようだ。「なるほど!」と思うところも多い。哲学はいろいろなところでかじってきたが、しっくり、ということはなかった。ああ、あのときのあの本はこのことを言ってたのかぁー、なんて感思い起こすこともしばしば。
しかし、本がやさしいからだけではなく、今の年齢がそうさせているのかもしれない。大学生のときにわからなかったことがわかる、すっきり感があった。
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キリスト教会の在り方を巡って様々な提言がされている。なんとなく、教員免許更新制度の根拠と同じような世界観が垣間見られ、必ずしも100%納得というわけにもいかない。
何かが見えなくなっている・・・
それをこの本からは感じる。何なのだろう?このしっくりこない感じは。著者言うようにしたとき、本当に「健康な教会」ができるとは思えないのだ。この主張を否定しているのではなく、不足していることを感じる。
問題提起として、テーマはいいと思うのだが、私は、この辺の提言に信徒がしっくりするような提言をしている人が今いないと感じている。それはたぶん、牧師が執筆せざるえないからであろう。信徒からの提言があってもいいのではないだろうか?
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かなり面白い。カトリックだが、キリスト教礼拝説教集としては、最近では上位にランクインしました。西千葉教会ということだが、会ってみたい気がします。
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横山秀夫の処女作でえ1995年に書かれたものを加筆・修正したものらしい。
横山秀夫は有名すぎるが、やはり面白い。後に何が残るかって言えば、大して残らないのだが、エンターテイメントとしてはハリウッド映画より、十分楽しめる。
ただ三億円事件との絡み、この殺人の動機というところではいまいち落ちない。でも最後の50ページで二転三転するところはさすがです。
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本です。テレビドラマじゃあありません(ちなみにテレビドラマはhttp://www.tv-asahi.co.jp/rinjo/です)。
テレビはキャスティングからして、とても観る気にはなれないのだが、本は横山ということで、とりあえず読んでみた。短編集でテレビドラマにしやすい文庫かな、と。
ところが、かなりの出来なのだ。短編が効果的だと思ったのは、芥川龍之介とこの本くらい。いや正直、ほかの本はなぜ短編にしているのか、という理由がわからない。細々としていて、いっそのこと長編にしてくれ、と思う。でもこの本は無駄が無く、もちろん中だるみ何て事もない。すっきりと読みやすい。
各短編は、主人公が見え隠れしてしまう、不思議な小説。全面に出てこないのだ。なぜ、こんな小説ができてしまったのか不思議。とても面白い。どんどん引き込まれて、残り少なくなるのが惜しくなる。
これをテレビドラマにすると・・・たぶん、打ち壊しだろうなぁ。テレビ観た人はこの小説は楽しめないでしょう。小説読んでからテレビ観た方が良いと思う。
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ダヴィンチ・コードは2004年末くらいに読んで、2006年に映画を観た。その後この「天使と悪魔」が本屋の棚にならんでいたが、大して興味がわかなかった。
そして3年が経過し、映画化ということで大々的に宣伝される中で、「やっぱ読んでみようかな?」なんて思ってしまうのだ。しかも既に文庫本化してるから(とは言っても3冊だが)、ハードカバーの1冊分くらいで済んでしまい、リーズナブルなゆえに読んでしまった。
まず、このブログでお断りしなければならないのは、私がプロテスタントのキリスト者であり、数学と情報の教師であること。
以前もこのブログに記入したのだが、真理と真実とは異なると考えている。そこに葛藤を抱く人が多いので、こういう本を鵜呑みにしてしまう人がいるのだが、そういう人はかなり危険。今後、新興宗教にはまってしまいますので、気をつけましょうね。
この小説も「科学と宗教」がテーマになっている。日本という地ではキリスト教に偏見を持ってしまう小説なのだが、たぶんアメリカでは全く異なる読み方をするのだと思う。それもバイブルベルトが政界でもあれだけ強い中で、この小説はかなりのインパクトになるに違いない。それ自体、思想が原始的すぎる。構造主義的に観ていかなければならない。
さて、小説としての評価だが、とても面白い。私は科学と宗教に葛藤は無いので、読んでいて反感を感じるわけでもないし、はい、はい、そういう考えのキリスト者いますね、と共感しながら読んだりする。また、科学者についても、そうそう、なぜか理系である自分に固執して、宗教家があたかも科学的な考え方ができないような発想をする人いますね、たぶん、その理系人間は自分が理系という個性が無くなったら何もなくなるかだでしょうね、なんて思いながら読んでいた。
実は、最初から犯人が見え見えのような書き方をしている。これはいただけない。もう少し隠していただかないと・・・と思ったが、やっぱり最後まで読みました。
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真保裕一の映画原作。真保裕一の小説はどちらかと言えば好きな方だ。サスペンス系が多いと思うが、サスペンスのプロットが好きなのではなく、その裏に流れる思想が好きなのだ。「奇跡の人」が特に良かった。
で、この作品だが、映画と小説のどっちが先なの?と言えば、真保裕一は小説、と答える。あくまでこれはノベライズではない・・・と。
しかし微妙だなぁ・・・と思わざる得ない。フジテレビから依頼されて書いて、それを映画化したというわけで、そこにはある程度、舞台もキャストも真保裕一の必要からではなく、フジテレビの必要から設定されているわけだから。
で、多少裏切られても、大きな駄作とはならないであろう、と思っていたのだが、「駄作」である。真保裕一の汚点となる。
具体的には、ミステリー調に犯人を隠して話を進めていくが、それがゆえにテロリストの執拗な執着が伝わってこない。そして、黒田の執着もよくわからん。文章の流れも無駄が多い。読み飛ばしながらでも内容は理解できそう。
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1900年前後に書かれたバーネットの古典的小説。子供用の本にもなったりしているのでご存知の方も多いことだろう。いつ買ったかわからないが、本棚に「積読」となっていたので読み始めた。訳は良くない。不自然な訳が多いので、最近現代語訳がされた光文社を読んだほうが良いのだろう。
色々な解釈がありうるこの古典。私は特に最初の「奴隷に囲まれた生活」から「自然に入りこむ生活」へ移行したときのズレに着目した。
奴隷に囲まれた自己中心的な生活は長くは続かない。
女性が(女性に限ったことではないが、女性に多いという意味)若いときにまわりにチヤホヤされる(奴隷に囲まれた)状態からそうでない環境(自然)へスイッチする時間の流れに気づかない人がいる。独りの大人として扱われているわけだからフェミニズムの視点では環境は改善されているはずなのに、そう気づかない人が多い。
そのとき、変えてくれる人とどう向き合うか、それがその人の生き方を大きく左右してしまう。向き合い、時間の経過とともに「成長」を感じることができるとき、もう成長は誰にも止められない確かな歩みにあるのであろう。
はて、私はどうであろうか、成長し続けているのだろうか?そんなことを考えさせられた一冊。
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ホラーの乙一著の作品。ホラーは殆ど読まないが、姉の勧めで読む羽目に・・・しかし、ホラーとは言い難いし、意外と面白い。この小説の内容としては極端な例だとしても、「教師と生徒との関係」という点では見過ごせない関係性を描いている。
ホラーという点では「青」が出てくるところがホラー的なのだろうが、ホラーとして読むと何の価値も無くなる。一つの象徴として読むのがよろしい。
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普通のサスペンス。2001年に出版された小説でドラマ化もされている。
これ、と思って手に取ったわけではなく、大分前に買って本棚にあったもの。隠蔽捜査3を読み終わった後、懲りずに「何か小説を読もうか」が動機。
面白くないわけではないが、とても面白いわけではない。全部で500ページ程度だが、面白いのは100ページから200ページ前後。後半からはトリックが透けて見えてきてノルマ的に読み下していく感じ。
あと、ドラマのキャスティングは見ずに読んだが、私のイメージとはかなり離れた。財前直美と中村トオル・・・・全く有り得ない。
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非常にふざけたタイトルで、買う私もふざけて買ったのだが、本当はしっかりとした社会学になっている。前半は統計データに意味を与えた解説。こういう論述は哲学が無いので飽きてしまった。そういうわけで、前半で読書を一時停止してしまったので、買ってから、読み終わるまでに一ヶ月程度かかった。
分析としては、「モテること:背か高いこと:容姿が良いこと:所得:出世」の相関関係があることを示している。一つの意味の与え方だろう。
モテる条件が「三高」と言われたバブル期から、現在は「三低」が加わったという。「三低」は「低姿勢、低依存、低リスク」ということだ。低依存は、料理ができるなど女性に依存しないこと、低リスクは雇用の安定ということらしい。随分と細かいところまで「査定」される時代になったものだと思うが、そもそも「三高」と言われた時代も一部の人たちの話で、中流社会には無関係な話だった。たぶん、首都圏だけの話だっただろうと思うので(意識は確かに浸透しているように思う)、象徴的な話として受け止めた。
最後に「男性保護法」の意見が書かれているが、フェミニズム運動の弊害を問うている。過激な意見で細かいところまでは同意しないが、その心にはかなり共感する。
フェミニズム運動は、平等社会を生み出す運動であったのに、なぜか同性格差を作り出していることに気づいていない人が多い。あの運動には違和感がある。あの運動に意味があったのは、90年代で終了した。これからはもっと別な運動や主張が必要だ。フェミニストが見ていた男女平等社会とは今の社会の延長なのか否か?吟味する必要がある。
草食系と肉食系と喩えられ、そういう意味でも「査定」が厳しくなった昨今だが、少なくとも私は草食系のモテるタイプではないらしい。
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さすが・・・読み終えたときの感想。今野敏著の隠蔽捜査シリーズだが、普通のポリスサスペンスではない。必ず心理描写がある彼の作品には唸らされる。特に「婆子焼庵(ばすしょうあん)」のくだりは見事!変にトリックを見破ったりするよりも、こういう展開のほうがリアリティがある。そこからの展開のテンポもいい。
ちなみに犯人の目処も、「婆子焼庵(ばすしょうあん)」くだりの意味も、私はわかりました。
自慢です。(^○^)
でも面白いし、わかっていても読み進めたくなる気持ちを持たせたこの小説はすごい。
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新島襄についてはしっかりと読んだことがあるわけではなく、あちらこちらの本に散らばっているものや、礼拝の説教で聴いたこと、インターネットで読んだこと、函館や博物館で見たことなどなど、寄せ集めの知識でしかない。で、簡単に漫画で一通り読んでみた。
でもなるほど、会衆派教会というものはこういうところから来ているのか、と思うところも多かった。もう少し面白く、詳しく(これが難しいのだろうが)書いた本は無いだろうか。
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また内田樹です。これはいろいろな記事の寄せ集めなので一貫したテーマでは書かれていない。しかし、私は何冊が本を読んできたので、彼の思考、そのものを知りたいという思いがあるので、こういった本のほうがいい時期にきていた。しかし、この「態度が悪くてすみません」というタイトルは彼らしい。「まえがき」で書いてある、その意図については特に共感するものがある。帯には「相手にすみませんと言わせたらアウトです」と書いてあるが、その根拠が読める。
しかし寄せ集めだけに、硬い批評からやさしいエッセイまで幅が広い。
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いやー忙しい、忙しい。とにかく読む暇がもてない。何だかんだとやっているうちに、今日までひっぱってしまった、この本。内田づいているが、そろそろいいだろ?と自分でも思っているがなかなか読み終わらない。
アジアを(読書の)旅をして、再度中国に戻ってきたわけだが、やはり全く視点が異なる。靖国参拝の内田なりの意味を読むと、単純に信教の自由という根拠だけで反対していていいのかしら?時代に即してないのでは?と思わされる。(いずれにしても良くないのだけど、戦略が異なるという意味で)
想像力・・・やはり不足している。「当たり前」を疑う想像力が足りないことを思い知らされた。私の知っている文化、思考で中国を理解しようと思っても、そりゃあ、理解できないわ。創造を絶しているもの。この立位置を変えることが、できると思っている人が一番危険だ。基本的には誰もできない。知らないんだもの。その「できない」が一番、理解を進める動機になるのだろう。
謙虚に生きよう!
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感心したことをいくつかメモする・・・
反対ではない。むしろ賛成だが、根拠が浅い感じがする。そこに疑惑が・・・
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内田氏の本が続いている。同時平行で中国論も読んでいる。
なかなか、納得することが多い。この思想を俯瞰する感覚。その思考をどうにか身に着けたい。
どうしても俯瞰するというと、2点の平均をとってみたり、中央値をとってみたりするのだが、そうではない。それは二次元の視点だ。思考の三次元では平均や中央値がとれなくなる(勿論、三次元での平均や中央値はあるのだが・・・)
なぜ俯瞰か?
正直、最近、周辺で生じるトラブルは、俯瞰できない人のトラブルが多いからだ。
「ちょっとした気遣いもできない」人とも出逢ったが、もう少し高度に、それとも違う分析をしなければならないことを感じている。
それは、この本の最後に出てくる「共感」では共生できない、という論が一番すっきりする。
相手はこういうことを嫌がるだろうな、とか自分がされて困ることはしないでおこう、的なレベルの倫理では通用しない世界になっているからだ。私が想像つかない「あの人」はどう思うか?と想像力を広げても限界があるのだ。そこの想像力の限界は自分の限界でもある。自分の世界で相手を観ることはできないのだ。
では?
要するにどう感じるか、どう思うか?ということを察するのではなく
「聴け!伺え!尋ねよ!」。
そうしなければ、世界観も文明観も異なる二人が共生することはできない。極端な話、私たちは小人を気遣うことはできないし、巨人を気遣うことも、察することもできない。
この間、つくづく感じたのは「尋ねてくれ!」ということであった。
伝わるかな?
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やっと見つけました。アンチ樋口である私は、世に出回っている樋口式小論文には全く納得がいっていなく、こういった実践的な本を捜し求めていた。それが論理トレーニングに行かせた(日本語論理トレーニングが講談社新書から出ているが、同じ中井氏の執筆による、だから2冊読むと一貫した姿勢が感じられる)。
そもそも、借り物の結論を書くのが小論文なのか?というのは素朴な疑問。書きたいことを書く。伝えたいことを書く。社会に出ても、与えられた業務だとしても、大切なのは、「私が伝えたいことを書く」ことであると思う。そうすると、小論文は「枠」からではなく、「私」から入るはずなのだ。
樋口と私が依拠していた西研についての批判もあるが、何よりも実際の添削文章が出ているのがいい。
絶賛です。
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「論理」ということに着目してみた。なるほど、と思う反面、これはやりすぎでは?と思うところもある。
国語の先生と読みあっていたら、私と国語教師ではやはり視点が違うことに気づいた。このまま授業では使えない。ヒントにして加工しよう。
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非常にくだらない、何も学ぶところの無い本。勝間和代については「テレビってヤツは」に出演していた時もおかしな奴だと思ったので、本ではまともかと思いきや、テレビと同じでした。
自分のサクセスストーリーを絶対化・一般化している点に嫌悪感を感じる。この本の半分は自画自賛の記事。彼女を支持する意見の羅列。批判的な意見も含めないと信憑性が無くなる事は知らないらしい。
ウェブと読書の棲み分けも、当たり前でしかない。
彼女のサクセスストーリーを彼女自身が振り返るとき、彼女を支えた周りの人が見えていないのだと思う。彼女は彼女自身の努力ですべてうまくいった。
こういう人を信奉する女性たちを増殖させるのはやめてもらいたい。
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久しぶりのIT系。IT関係は最新情報を得てなんぼのものだが、今までの概念にクラウドというイメージを与えたところに新しさがある。細かいところでは最新情報はあるものの、全体としてはクラウドに新しいものは感じない。
この本はそういった、新しいネット世界の概念図を示している。しかしながら、そのクラウドのリスクについては語りきっていない(著者に危機感が無い)ように感じる。そんな夢ばかりではない。「壁」は常に存在するし、企業の信頼関係もそんなに高くない。
この新書一冊でネット世界の動きを把握するのはまず無理な話なのだろう。
ちなみに本に載っている著者の写真はとても年下とは思えない。
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講談社現代新書だが、誰でも本屋に行けば目に入った本ではないだろうか。この本おタイトルよりも帯の「あなたの職場がギスギスしている本当の理由」の方が目に飛び込んでくる。むしろ、そちらをタイトルにしたほうが良かったのではないかとも思うが、内容に比べて軽すぎるかもしれない。
なかなかしっかりとした新書だ。読み始めは馬鹿にして読んでいたのだが、そうでもない。役割構造、評価情報、インセンティブの3つの原因について述べている。但し、これがすべてか、と言われれば違うのではないかという疑惑もある。ひとつの視点からの原因予想というレベルで面白い本だ。
心得て損はない。明日からこの視点で観てみよう。
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前回に引き続き、岩波ブックレット。2月6日出版なので、かなり最近の情勢を踏まえた議論になっている。何よりも藤田英典、西原博史が参加している会の記録なので、興味深い。
さて、東京都の教育行政批判となっているのだが、むしろ、なぜこんな岩波ブックレットで納まっているのかが疑問。もっと大騒ぎになっていいはず。東京では、そのくらい非常識な教育行政の運用がされている。七生の件については報道にあったとおりだが、おかしいのではなく「狂っている」と言ったほうがいい。
東京の公立で教師をやるのは御免だが、それ以上に子どもたちが今後どうなるのかが心配。日本の教育は何処へ向かうのだろう。
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サブタイトルまで含めると長いタイトルで、とんでもなく厚い本のようだが、岩波ブックレットである。2月に発売されたものなので、新学習指導要領を見据えたものとなっている。
ちなみに私は数学・情報の教員(ついでに工業の免許も持っているが)。英語は関係ないと言えばそうなのだが、教育課程を眺めるために必要と考え、昨日購入。
さて、内容だが、英語教育といっても第三者が考える「英会話ができるように」教えるのが英語なのではないのだな、ということがわかる。言語学までさかのぼった議論となっている。なるほど、それは小学校での導入は疑問が残る(否定ではない)。
そこで考えなければならないのが国語教育。英語教育は国語教育と言語学という土壌で両輪だと考えるが、国語教育のほうはそう考えないらしい。
一般的に認識されている国語教育は「感性」「感情」「情緒」だという。「論理」とか「思考力」は考えないらしい。ここが日本の国語教育の落とし穴だと思う。国語教育が「感性」「感情」「情緒」だとしたら、なぜに読解の授業で「解釈」を押し付けられるのだろう?「私」が感じた「感情」や「情緒」を大切にしてなぜバツがつけられるのか。これは私が中学時代の頃からもっていた疑問だ(勿論、当時はそんな論理的に説明できたわけではないから、国語が嫌いになって勉強しなくなっただけなのだが)。国語教育は「論理」「思考力」にシフトする必要がある。それは小論文指導も同様だ。
しかし、納得もする。そういう国語教員を目の当たりにしているから。
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なぜか、ベトナム周辺から抜け出せないでいる。アンコールワットはカンボジアの世界遺産。アンコールワットについては、映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」でも登場したし、クメールルージュ(ポルポト派)を巡った歴史の中では避けられない遺跡である。まだまだ謎の多いクメールルージュと共に、この遺跡もまた興味深い。
この本は、アンコールワットをはじめとするクメール遺跡を巡って、盗掘が行われていることを問題としながら、そこにまつわる歴史も紐解く。
大変興味深かったことをいくつか。
と、正確に記述できているかどうかはわからないが、こんなことだ。それはさておき、一番考えさせられたのは「世界遺産とは何か?」ということだ。
そもそも遺産とは民族が伝統や文化を守りたい、後世に伝えたい、と願う心からお金をかけて管理すると思うのだが、このアンコールワットについては、盗掘があることや、古美術として売ってしまうことからも、カンボジアはそんな遺産よりも生活していけることを求めているのではないか。勿論、世界中にクメール遺跡が散っているのは、売っているからだけではない。戦利品として移動していった経緯もある。しかし、そうだとしてもカンボジア国民が本当に守っていこうという意識がなければ、世界遺産も文化も守れない。守らなくていいと言っているわけでもないし、他国がお金を出さなくてもいいと言っているわけでもない。
世界経済をそこまで押し上げ、すべての人が余裕のある生活が保障される世の中になっていかなければ、本当の意味で文化は守りきれないし、後世には伝えられない。
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ゴシップ的な沖縄人の49のルールを記した本。
緩い感じの沖縄気質も、様々な形で紹介され、記載されているが、この沖縄の歴史から来ているのだろう。このくらいゆるくなけれ、精神的にはやってられない。
この本のしたたかなところは、3K(公共、基地、観光)経済問題を最後の最後(47以降)に配置した点だな。
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めちゃくちゃ面白い。一気読みしてしまう。
クォン・デ
聞いたことの無い名前なのだが、彼はフランス支配にあったベトナムの解放のために来日し、当時、母国では英雄的扱いを受けていた王子。著名人「犬飼毅、犬飼道子、新宿中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻、玄洋舎の頭山満、孫文、大隈重信・・・」などの人間関係が交差する中で、その解放の夢はどんどん遠くなっていく、この悲劇に「なぜ」と問い続けながら読まざる得ない。そして遂に彼は1951年に帰国すること無く、杉並区のアパートで最後を迎える。
彼はどうして現代アジア史から消えてしまったのか。
彼はどうして祖国で封印されてしまったのか。
彼はどうして日本に憧れたのか。
彼はどうして祖国に帰る事ができなかったのか。
当時、アジアが観ていた日本の一つの像を、確かにリアルに感じる、そんな一冊。
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満洲・韓国・越南・台湾・香港を経由し、沖縄へ。後ろ髪を引かれながらも日本へ戻った感が強い。
沖縄は2回行ったことがあるが、もうすでに10年前の話だ。この本は初版が1983年、それから4回の改訂を経て、現在に至る。その改訂の度に本は厚くなる。この第四版は昨年の6月に出版されたから、かなり最近までの基地問題も記述されている。断片的なニュースは耳にするが、どう繋がっていっているかは観えていないことが多いことを実感した。また、観光コースは、10年前とはかなり異なっている。施設がかなり多くなっていると思う(記憶はおぼろげだが・・・)。沖縄本島だけではなく宮古島や八重山のことも記述があり、興味深い。
経済・観光・自然・・・「行ってみたい」と思うと同時に、行っていいのだろうか、と考えさせられる。私たちが沖縄に行けばいくほど自然は破壊され、リゾート開発されていくのではないか。しかし観光産業で経済を潤さなければ、経済の基地依存も断ち切ることはできない。悩ましい。
「観光コースでない」シリーズはこれで6冊読んだ。この一か月というもの私の心は北海道に無い。それなりに味わえた読書の旅であった。しかし、このシリーズの本は欠陥がいくつかある。一つは現地人が書いているので、「現地人では常識」ということに対して説明が端折られる点。2つめには、北海道もそうなのだが、地名というものは1回読んだだけで記憶できるものではない。だから1回ふりがなをつければあとは記憶しているだろう、という「ふりがなの付け方」には不親切さがある。3つめには、地図も説明と同時に地図を挿入してもらいたいものだが、章の始めに載せてあとは戻ってくれ、と言わんばかりのレイアウトの悪さ。読み下して進んで行けないから、いちいち戻らなければならない。そして、一般的な地図にも載っていない地名をくどくどと説明をくわえている場合がある(台湾がひどい)。
「近くて遠い中国語」にも書いてあったのだが、漢字にはふりがなをすべてつけるべきだ。新聞もそう。読んでいくうちに覚えていくことができたらとっても良い。
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未だ中国から脱しきれていない。中国語のお話であるが、中国語の手引書ではない。中国語と漢字の歴史がよくわかるようにストーリーだてしてある本。
中国、朝鮮(韓国)、ベトナムで使われていた漢字。漢字がなぜにそれほど崩れることなしに文化として伝わってきたのかが納得できる。漢字は文化ーそんなこと日常的には考えることはない。
ただ、こちらの感動を他所に、この本は日本人の漢字は中国では通用しないよ、ということを言いたいのだが、通用すると思ってた?思ってないよそんなこと・・・。
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満洲、韓国、ベトナム、台湾を通過し、ようやく香港へ。香港といってもマカオも記載されている。4冊を読んでみて、かなり勉強になった。この5冊の相互関係も見えてきたように思う。今後は、こういった経緯を抑えたうえで映画や本が読めるので、これまで観たり、読んだりしたものも、かなり違う風景が見いだせるかもしれない。
しかし、まだまだ足りないだろう。言語も含めて多くのことを吸収したいと思う今日この頃です。
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さて、3カ国目です。台湾については映画「戦場のレクイエム」で書き込みをした通り、蒋介石の動向には関心があったからであった。ただ、蒋介石個人について知る本ではない。
また、新渡戸も「武士道」を出版した翌年にこの台湾で台湾総督府民政部殖産局長に就任していることも関心の一つであった。つまり製糖事業である。たぶん農学校での知識と技術を還元したのであろう。
植民地化したときであるから、新渡戸は植民地化に協力した人物・・・とやっきになって批判する人もいるが、それは今でこそ批判できるが、思想的には、この時代の限界だろうと思う。新渡戸が特に悪いという批判ではなく、この時代の思想・哲学そのものが未成熟であったと思う。特に「植民地」や「戦争」については。そうでなかったらあんな教育がまかり通るわけがない。勿論、そういう意味では内村鑑三の方が成熟していたと言えるのであるが。話はそれたが、残念ながら、この本は新渡戸については何も触れていない。課題としておこうと思う。
まず、恥ずかしながら、台湾はどこからどこまでが台湾という地域であるのか知らなかった。漠然と「あの米みたいな長細い島」くらいの位置づけであった。それを知っただけでも意味があっただろう。
この本でも感じた事だが、やはり建築物に歴史を観るという視点がある。歴史を観る上でやはり建築物は外せないのであろうが、専門家はたいてい興味持ってないよね、建築物。
韓国や満洲と違って、歴史はわかりやすい。やはり島だからだろう。中国や韓国は1国対1国という単純な争いで終わらないからややこしい。台湾の歴史は日本・琉球・台湾・共産党・国民党という関係性だけを追っていけば、あとは先住民の掌握で事足りる。しかも日本語と現在使われている言語との共通性などの説明があったので入りやすかった。
便利な時代になった。これ系の本を読むときはグーグルアースを立ちあげながら、路地まで確認して読める。時間はかかるが理解することを目的にしているから苦にならない。いつかは台湾、いつかは満洲・・・そんなことを思い描かせてくれる。
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満洲、韓国に続いて「ベトナム」です。この3冊を読んできて、勿論日本が行ってきた傷痕が物理的にも人の中にも残っていることは当然感じるのだが、それと同時に、この中国周辺というのは日本だけではなく様々な国に翻弄されてきた歴史なんだなぁ、と思う。そして、国境というものが目に見えるだけに、日本と異なり、常に多文化共生という課題をつきつけられてきた人たちなんだな、と。
人間性という点では、ベトナム人は勇ましいし、自立しているところがあるようだ。それはこの本でもベトナム戦争の経過で書かれている通りだが、その民族性は興味深い。
それ以上に興味深いのは少数民族。そのような集落に行くのは、かなり困難なようだが、ハノイやホーチミンとは違う意味で、そのような田舎に旅してみたいと思わされた。でも、本当に行ったら困るんだろうなぁ、衣食住的な面で。細かいことを書けば色々あるが色々ありすぎるのでブログには書かない。
これまでの観光コースではないシリーズを読んでみると、私はどちらかと言えば、日本はこんなにひどい事をしたんだ、とだけ伝える本なのかな、と先入観を持っていたが違う。かなり客観的視点で書かれており、(侵略された)現地原理主義的な視点ではなく、現地の問題点も評価していたりする。
何より私が個人的に関心のある建築物に触れているのは嬉しい。生徒のときに受けていた社会の授業ってそういう視点無かったし、当然、社会科の先生って建築物に興味ないよね。この本では日本橋について触れているが耐震性に慎重である日本の建築家の建造物は観てみたい。
次は「台湾」「香港」へ飛びたいと思います。
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これも時間がかかった。理由はやはり言語。知名と名前・音がなかなか頭に入らない。
韓国は戦後50年を経た1996年に訪れている。10年以上を経ている以上、記憶は曖昧だ。従って、その記憶を戻すべく、この本も2000年に新版が出版されているが、1994年版を読んだ。
しかし、人間の記憶というものは何と曖昧か?独立記念館も堤岩里教会も行ったはずなのだが、ぼんやりしている。再度確認すべし。
あとは歴史を紐解くから、地続きとなる「満洲」を読んだ後の韓国という意味では読みやすかった。満洲と同じ著者だが、いずれも建築物に着目している点には感心する。こういう視点で社会科の教科書も書かれれば関心がわくのだが・・・
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3年前に「観光コースでないマレーシア・シンガポール」を読んではいるのだが、長年学習の必要がもっともあると考えていた「満洲」に手をつけた。そもそも満洲は私のルーツであるから、海外ではここから手をつけるべきであったのだが、その時、その時の必要に迫られ、今まで棚上げしていたにすぎない。なぜ今か、と問われれば、「レッドクリフ」→「三国志」→「ラストエンペラー」→「満洲」という道筋で来たというのもある。
で、やはり今まで避けてきただけあって私の頭では困難はあるのもので、まずは漢字が苦手。これはどうしようもないのだが、一度書かなければ頭に入っていかない。だから読んでいるだけではどうしても話が繋がっていかなくなる。さらに地理。場所がなかなか頭に入らない。こうして何枚かの地図を見ても、旅順と大連を含めた詳細な地図が存在しない。文章が理解できないのではなくて、空間理解ができないことに気持ち悪さを感じる。勿論、その地図はネットにはあるが、それは印刷しなければ持ち運べない(基本的に外出して読んでいる)。これは非常に奇妙なことだとも思うのだが、ほとんどの人はこの地域に興味を持っていないということだろうか。
この本は、戦跡の歴史を訪ねるガイドだが、その歴史を建築物が語っていることによく触れている。著者はそれが大切なことだと考えているらしい。これは私にとって興味深いところだ。
この本を手始めに、沖縄・韓国・ベトナムも読もうと思っている(沖縄、韓国は行ったことがあるが、ベトナムは無い)。余裕があれば、台湾・香港も。私は工学系だから、こういった海外旅行の本は言語と地理に苦しみながら読むしかないのだが、唯一の救いは建築・土木分野の話なのだな、と活路を見出した。正直、建築・土木の話だとホッとするのだった・・・
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教育の専門家ではないのだが、他分野の人が書いた教育論としてはかなり高度だと思う。専門家が書くとくどくなるところを、すっきりとした論理展開を見せているところなどは素晴らしい。特に「いじめの構造」は見事。
彼の立場は「フェミニズム批判」「格差社会批判」「ニートが仕事を自己表現のようなものと考える創造的労働者の末路」とする思想なので、この論点は受け入れがたい人は多いかもしれない。
私は「格差社会」の解釈もそういう人もいるだろうなぁと思うし、「フェミニズム」についても逆差別を進めているのではないかという疑問も持っている。社会問題を一つの側面で原因を切り落としていくことは危険だと思う。いくつかの要因が絡まって生じている問題と考えた方が信憑性があると考えている。だから、彼のような視点は一つの可能性として受け止めておきたいというのが私の社会感覚だ。
それは教育問題も同様。一番バカバカしいのは自分の大学の大学生が分数ができないからといって低学力論争を起こした人たち。アホじゃないか、と思う。様々な角度から、教育の可能性を追求していくことは有意義だと思う。しかし、ひとつの角度から切り落としていくことはやはり許せない。
内田氏のいう、惰性があるからに他ならない。
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何の数字かと言えば、2008年のこのブログ上の書籍記録の数です。89冊。落ちました。2007年度は155冊でした。落ちてます。
ブログに記録すると、こういうことがわかるので便利だが、傾向も考えなくてはならない。本のジャンルが変わってきたことと、ブックレットが少なくなったこと、固い本が増え、時間がかかってしまっていることなどがあげられます。
必ずしも悪い傾向だとは言えません。くだらない小説も読むのは辞めにしてきました。映画もそうですが、あらすじから大凡の内容(映像)が推定できるようになってきたことがあります。だから「知らないこと」「予測不可能なもの」を読んでいます。
2009年度は○○冊にしよう、などという数値目標は立てませんが、新しい読書へ展開したいと考えています。
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かなり凄い小説。世界としては宮部みゆきの「模倣犯」に近いかな?
しかし、模倣犯よりも優れているのは、確実に読者を多角的立場に置いてしまう手法。この書き方は初めて読んだ気がします。それぞれの悲しみを、それぞれの立場で描き切ってしまう著者は凄いなぁ、と。犯罪者の心理というのは研究されているのでしょうが、「こんなこと思うの?」と、私の想像を絶する心理を描いているので、心理的展開が意表をつく。
ダーーーーーっと一気に読みとおせる本。
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正直、やっと読み終わったという気分。おもしろかったか、と言えば、面白くはなかった。どうも全体像が掴みにくい。話の区切りが無く、永遠と続く30巻までの話は全体像を見失わせる。
それでも読み切ったのは惰性もあるが、個々に出てくる人間関係に学ぶところがあったこともある。人間の奢りがあれば必ず滅び、奢りに人はつけこむその構造は真理であろう。終盤では孔明のリーダーとしての生きざまに学ぶところが多い。
しかし、最後まで気になったのは、どう考えても「同じ顔」だろ、というキャラクターの貧困さ。鎧をつけているだけに服装で区別もさせれない苦しさ。
しっかりと名前を覚えて、文庫でじっくりと読んだ方が頭に入ってくるかもしれないなぁ。そのうち挑戦したい。「700ページ×5巻=3500ページ」の文庫本。
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学研が小論文指導の参考図書としてあげており、アマゾンでもレビューは絶賛の嵐。著者は「池袋ウエストゲートパーク」の石田衣良だが、その小説も読んだことはないのに、私はこのエッセイを友人から借りて読んだ。
絶賛されているが、さっぱり面白くない。それが正直なところ。書いた時代が4年前だったりするので、古い。新しい見地に立った意見かといえばそうではない。割とその辺に転がっている論理と意見。なんら斬新さは感じ得ない。ひいき目に見れば、古いエッセイだから・・・かな。
読んでみて、石田さんに悪い印象は生じないのだが、社会問題などに目を向けた論評は、もう少し広く、深く述べてほしいものだ。
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とうとう曹操も関羽も死んでしまった。
これから終盤に入るが、ひとつひとつのストーリーに面白みを感じつつも、全体的なストーリーには少し飽きてきたというのが正直なところ。
個人的に、ストーリーの人間関係としては旧約聖書に描かれている関係以上でも以下でもないので、たいていのことは驚かない。曹操も関羽も死んだ中で、果たして読み続けることに意味があるのだろうか・・・なんて考えてしまう。
あと9巻。せっかくだから、最後まで読もうっと。
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1~7はこのブログにも記述したが、60巻までだと思っていたこのシリーズは、昔のコミックとは異なり、2冊を1冊に編集し一新した結果、30巻までらしい。少しホッとした。
とはいえ、まだ13巻まで。レッドクリフの赤壁までを読み終えた。
困るのは、突然劉備に髭が生えていたり、あまり個性が無い絵を描くものだから、偉い人とはわかっても、見分けのつかない似通った絵を書いていること。見分けつきません。
感慨深いのは、リーダーとしての立ち振る舞い。学ぶことはまだまだ多い。
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久しぶりの教育関係書籍です。
さて、プロ教師の会・諏訪哲二の本だが、彼の本にしてはかなり地味なタイトルで目をひくものではない。いよいよ新書も変なタイトルつける時代も終わるのかな。そんなことを考えながら購入した。
教育関係の本は古典は別にして、こういう新書は最新刊で読むべきものであろうと思っている。2008年12月8日発刊の本だが、1年以内のタイミングで読まなければ情勢は変化しているので、なかなか読みにくくなる。自分の存在位置をタイムスリップさせて読む必要があるからだ。それだけ教育情勢の変化は「激変」といってもいいくらい、急激な変化を呈している。教育基本法が変えられ、教員免許更新制や学校評価制度、学校選択制や先日発表された高等学校の教育指導要領など、制度的にこれらが複雑に絡まり合った中で、世界経済の落ち込みと格差社会という背景が組み合わさって日本の教育はどこへ向かうのか皆目見当がつかない。しかし、未来を予測するために読んでいるのではなく、本来的な「私」が目指す教育を見失わないようにしなければ、私自身がぶれてしまうような気がする。そういう動機で教育関係の書籍を読んでいることは断っておきたい。
さて、この本だが、おおよそ、共感するところが多い。しかし、上げ足とりな批判とも思える記述もあり全面的に受け入れとはいかない。また、露骨な教育現場の記述があるが、本当にこんなこと書いていいのか?と思わされる。彼の職場の視点も正確なのかどうかはよくわからないから。
一応、覚書を残しておく。
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漫画なのだが、中学生のときに何冊か読んだのだ。しかし当然、すべてを読んでいるわけもないので、また読んでみようと手を出した。レッドクリフの影響である。
が、やばいことになった。休みの2日で7冊しか読めない。全60巻である。漫画というのは10年以上、まともに読んでいないわけで、読み慣れていないこともある。なかなか、上手く読みこなせない。文字ばかりを追ってしまって、絵を見過ごしてしまう。そうすると誰が誰だかわからなくなる。
大学生の頃から漫画はなかなか進まなく、イラッとしてしまい読まなくなってしまっていたのだが、ここまで読めなくなっているとは思っていなかった。
あと53冊。
全然感想になっていないですね。
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サンデーモーニングなどでもお馴染みの金子勝氏の新書。
率直な感想としては大絶賛。但し、第1章は経済学を学んでいない私には扱っている言葉が難しく、通常の2倍かかって読んだ。しかしながら、2章からはコメンテーターとして話している金子勝の言葉となっている。
この本が優れているのは、経済学者が多方面にわたって、経済を眺めることができていることである。現在の経済学の教科書的発想ではこの世界恐慌は回避できないことを述べる。経済学は多方面から考察しなければならない時代に突入しており、その分野は、医療・介護・福祉・教育と裾野を広げなければならない。また経済学の理論に時間軸が無いことも指摘している。特に教育では苅谷氏の引用もされている。
経済学をまともに勉強したことが無いので知らなかったのだが、経済学は科学なんだなぁーと感じた。科学だから、セイフティーネットや人権などを加味して論じられないというのが今までの考え方であったのだろう。この旧来の経済学とこれからの経済学とは切り離して新しい経済学が研究されなければならない。当然、裾野を広げた教養が必要となるが、恐らく、今後の日本の教育は、どの分野でも、こういった裾野を広げていく視点が必要であると思う。
基本的には「理系×文系」という学問を立てていく。例えば、情報工学×言語学、医療×社会学、医療×福祉、工学×社会学・・・など。そういう意味で国際基督教大学のような大学の在り方は望ましいのかもしれない。、
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森達也は「世界が完全に思考停止する前に」を読んではいるが、小説も映画も知らない。彼を嫌いなわけではない。むしろ共感することが多かった。知人の薦めでこの小説を読むこととした。
さて、この小説だが、かなり面白い。恐らく彼は思考停止の構造をメッセージとして伝えたいのではないかと思う。平均と標準の違いもなかなか面白い。実は統計学ではデータの代表値として平均、最頻値(モード)、中央値、分散、標準偏差それぞれがわかることとわからないこと、という特徴をもった代表として扱われる。一方、マスコミの調査する世論というものは、たいてい平均値をとられてしまうことは確かで、その平均値に世論が擦り寄っていく現象が起きていくことも確かだ。「9と1の平均値」と「4と6の平均値」が同じであることに案外気付いていない。日本人は統計・数値に弱いし、数値で物事を考えるのが嫌いだ。
アメリカの良し悪しは置いておいて、多民族国家の中では相互に理解しあえるルールが必要であったことから、数値というルールをたてることが多くなった。それが行き過ぎて、今年の経済破綻を起こしていることも事実だが、価値観が単一になると、そういったルールに悩むことなく、「常識=平均値」としてルールの確立が難しい状況を生み出しているのではないだろうか。
思考停止は、同じ価値観の集団・組織から生じる。マスメディアの価値観は多様でなければならない。左傾化して自分にあってるからこの雑誌はいいとか、右傾化しているからこの新聞は悪い、ということなのではなく、多様な価値観が発信されていなければ、国民は思考停止になる。そういう意味ではメディアの中でしっかりとした「対話」ができなければならない。テレビで喧嘩になるから同じ思想系をテーブルに並べて会話するテレビではダメだろう。しかし視聴率は上がんねーだろうなぁ・・・
但し、この本は、かなり社会問題に精通していなければ場面場面で出てくる問題が繋がっていかないのではないかとも思える。
小説の評価よりも、メッセージとして発している「思考停止」について述べてしまったが、急激に豹変する民衆についての記述が不足しており、観方によってはリアリティが無いSFにも読みとれてしまう。
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久し振りの香山リカ。
いつも思うことだが、色々な社会問題を単純化してい観るところがあり、本を読んでいて引っかかるところが無い。この人の言っていることが悪いという気はないのだが、著書に深さが無いことが気にかかる。新書を読んでいて、考えた気がしないのは気のせいか?
しかし一方で、この両親賛歌については疑問はやはりある。単純に親子関係の良好を喜んでいいのか、それとも自立できない若い世代を嘆くのか。私の世代では考えられないことだし、もう少し自分の夢のために親を犠牲にする精神があってもよいのではないかとも思う。
この現象について、一つの観点として捉えて読んだ方が良いであろう。
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非常に面白い。今野敏の作品は3作目だが、通常の警察サスペンスとは異なり、かなり込み入った人間関係を見事に描き出している。
事件そのものの捜査状況も気にはなるが、それよりも人間関係の進展があることに関心が惹かれ、つい没頭して読んでしまう。それほど評価されている作家ではないようだが、かなり評価していい気がする。
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かなり刺激的な本。街づくりの軌跡を綴っている。どんな商売をするか、というマーケティングの域を超えて、地域開発となる街づくりをプロデュースするには思想が必要だと実感する。この思想の無い、私欲に埋もれたプロデュースがなんと多いことか!?
2度開眼した本。
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かなり、いつもとは異なるチョイスの本。変わった小説が読みたくて店頭で適当に買ったものだが、かなり変わっている。
実は、読み進まなかった。ギャグで書いているのか小説にしては無駄な記述が多いので読んでいて苛っとする。
それでも最後までたどり着いたのはストーリー設定の良さだろう。誘拐した子どもの親が暴力団という設定は、先の展開が読めない。様々な可能性を広げるために期待も高まる。
おもしろかった・・・とは言えないが、まぁ、悪くはないだろうというレベルの本。
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「神南署安積班」がおもしろかったので、今野敏著の小説をもう少し、と思いさらに読んでみた。この本は「吉川英治文学新人賞受賞」作品のようだ・・・
ようだ・・・というのは、「帯によると」なのだが、この帯が紛らわしく、曲者だ。作家がある作品で受賞するとすべての出版済みの本に帯をかけてどれが賞をとった作品なのかわからなくする。騙されて買う場合もあって、がっかりし、もう、その作家は読まなかったりする。出版社の魂胆丸見えなのだが、逆効果もあることに気付いていない。どうにかしてもらいたい。
で、この作品だが、なかなか骨のある作品になっている。最初の方では、果たして主人公に共感できるのだろうか、と不安になったが、1/3ほど進むと、かなり最初の段階で主人公を誤解している私に気付いたりする。
隠蔽しよう、しよう、として雪だるま式に隠蔽が重くなっていく、そんなことはよくあることだ。そこを突破する、自分を超える精神力と弱さを強さに変えていく力-それを示してくれている作品。
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久々の書き込みです。ここしばらく、兆時間パソコンと睨み合って仕事をすることが続き、本を読むということから離れた。読んでなかったわけではないのだが、これまで休みの日は本を一日中読んでいることもあったのだが、それが無くなり、ペースが落ちたというべきだろう。パソコンと睨み合っていたのは、ビデオ作製と広報誌作成。なぜ、こんな仕事が立て続けにあるのか、その異常さに私も仰天しているが仕方がない。ここ3週間ほどの休日は全てこれに費やした。
さて、本だが、この本はそんな中で、あまり難しい本は読む気はせず、店頭で軽いミステリーをチョイスしたつもりだった・・・
つもりだったというのは「山本周五郎賞」をとったことに加えて「日本推理作家協会賞」をとった作家だったからにすぎない。この帯に誘導された。
結果どうだったのか、というと。結論は「面白い!」。しかし、これは推理小説でもミステリーでもない。警察署を舞台にし、事件を仲介しながら職場の軋轢や不信をドラマにしたという感じ。この人の心を描く描き方がおもしろい。
それなりに私も職場の人間関係に悩む者だが、解決のヒントを与えてくれる一冊。
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東野圭吾ガリレオ最新作の2つのうちの1つで、長編の方。
かなりエキサイトに面白い。容疑者Xよりも読む進めるのが早かった。おかげで寝不足だが・・・。読者の乗せ方が上手いのだろう。まんまと乗せられた。
トリックは、ははぁーなるほど。という感じだが、ミステリーに必要な崖から突き落とすようなトリックの解き明かし方ではないのが残念。坂を徐々に降りるように解き明かされていくので、大きな驚きにもならない。凡そのトリックが掴めてしまう。
ストーリー設定で無理があるかな、と感じたのは、殺害された男性が極端すぎるし、その極端さが何に起因するのかというエピソードが無い。そこを掘り下げればもう少し違う奥行を感じることができたのかもしれない。
しかし読んでる間は楽しめるので、それでよい。
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東野圭吾、ガリレオシリーズ2つ同時発刊したものの一つ。短編集の方だ。前半2編は特番で使われていたのでトリックがわかっていながら読み進めたが、TVよりずっと深く読み取れる。短編集とはいいつつも後半も読みごたえあり(トリック的に)。
久しぶりに、やわらかい本を読んだが、やはりエンターテイメントというか、映画を観ている感覚。学んだという充実感とは異なる楽しみがある。
発刊されたもう一冊の長編、「聖女の救済」はどうかこれからのお楽しみである。
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以前読んだ「会社の値段」とは大違いで、サブプライムバブルの崩壊の構造的な説明は勿論あるのだが、思想性があることが良い。
文春新書だから、右寄りということを懸念したのだが、この分野に関してはあまり関係ないようだ。
当然、私は専門家ではないから難しいところは多々ある。知らない企業もどんどん出てくるし、知らない言葉も出てくる。でも調べながら徐々に読み解いていけば、かなり面白い視点の本だと思う。
著者は「ものづくり」で地道に日本を立て直していくべきと提案する。アメリカの金融立国は崩壊し、日本はそれを見習う必要は全くないと。確かにそうだ。私も工学部出身として、没頭し、地道に積み上げていくことのできる人財を育てることは急務だと感じるし、それを支え、育てる投資銀行員が必要だとも思う。
しかしながら教育ではどうだろう?マスコミはどうだろう?サブカルチャーに没頭する学生を「オタク」と揶揄し、マネーゲームで荒稼ぎした人に羨望の眼差しを向ける文化が出来上がってしまったではないか。まるで「オタク」が「負け組」で、「マネーゲーム」で博打勝ちをした人を「勝ち組」と分類・差別する社会的地位を得た女性がいるではないか(女性蔑視ではない)。
もっとサブカルチャーを大切にし、専門家を育てる芸術・文化の環境が必要だし、多様なカルチャーを尊重し合い、共感していく「教育」と「学校」が必要。
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いよいよ今週末に迎えることとなったイベントに向けて、「生物と無生物のあいだ」の福岡氏の最新刊を読み終えた。
中盤は一つひとつ確認しないとなかなか理解が深まらない。これは「生物と無生物のあいだ」でも感じた事だが、私が高校で生物を学ぶことの無かったからだと思う。XY自体習ったことが無い。わかっている人には余計な話に感じるであろうが、たとえを引用している部分はとても助かる。
エッセイ的な部分も少なくない。科学か思想かという部分で読み分けていく必要がある。なかなか面白い視点だ。なぜか、新書では珍しい長いプロローグとエピローグがある。もしかして小説だった?
あと、印象に残ったのは「私たちは知っているものしか見ることができない」という科学的アプローチから真理を言い当てている部分。この言葉には響くものがあった。
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イニシエーション・ラブの乾くるみ著。イニシエーション・ラブではかなり巧妙なストーリー展開が気に入ったので、この本も読んでみた。
基本的にはタイムトラベル系のストーリー。映画でも本でもタイムトラベル系の醍醐味は、タイムトラベルによってどのような矛盾が生じるか、という点になる。この点が意表を突けばつくほど面白い作品となる。
乾くるみは数学科出身なので、それほど文章表現が上手いわけではない(下手なわけでもないが)。一方で、時系列の捩れのトリックが巧妙。
しかし、この本でも、そのトリックは矛盾が無いようにかなり考えられており、面白くないというわけではないが、残念ながら斬新ではない。この本の面白さは、そのタイムトラベルを「そして誰もいなくなった」につなげるという発想自体がおもしろいとは言える。
前半と後半で大きく話の軸は異なる。前半のタイムトラベルがひどくくどい気もするし、後半はもう少し二転三転してもよいのでは?特にタイムトラベルの矛盾を利用して・・・
面白くなくはないが、前回のイニシエーションラブのような驚きは無い。期待よりも評価は低い。
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なるほど。こういう落とし方をしましたかぁ。この下の前半は正直退屈でした。
異次元的な世界がここまで複雑化するとある程度は「藪の中」に葬るしかないな、とは予想しました。たとえそうしたとしても、ひとつひとつの対話における意味合いが深いので、この小説にはそれなりのメッセージが押し出せてしまう深さはあるようには感じた。
しかし、その異次元的な世界については明確に示さないが、ある程度予想できるヒントを上手く残して終えていることは凄い。よくあるのは、最後に説明みたいな台詞が延々と5~6ページ続くような作品。最後に興醒めするようなエンディングを描くことなく、ある程度のヒントだけで落としてしまうところはさすがだ。
色々な読み方はできるだろうが、色々な場面で、様々なキャラクターを生と死の境目としてのリンボーに人を立たせることによって、人間的に成長していくこと(=生きること)を表現しているように感じた作品。教師だからそう感じたのかもしれないが・・・
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村上春樹、第3弾といったところ。村上春樹の世界を知るために2冊の本を試みたかよくわからず、中途半端な作品よりも村上春樹が本腰を入れて執筆したもの、それも比較的新しいものを選択してみた。
想像していたよりも面白い。少なくとも(上)に関しては。意外なのはリアルからはみ出てしまっているところ。
私は宮部みゆきも嫌いではないが、あのリアル世界からはみでていくミステリーは反則技だと思っている。私の評価する反則技というのは「はみ出し方」にもよるのだ。例えばカフカの「変身」は私の中では反則技ではない。ぐっと心理的なリアリティを生み出すこともあるからだ。しかし宮部みゆきの場合、ミステリーだからこそ反則技が強調される。ミステリーでミラクルはちょっと・・・と思っている。
この海辺のカフカ(上)は様々な疑問を残して終える。これをどう落としていくのかが反則技になるのかどうかの分かれ道。全ては(下)で評価が決まる。
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村上春樹の短編すぎる短編。村上春樹の世界を知るために買ってみたが、これは異国感たっぷりのファンタジー。
結末に何かを語らせないところが「風の歌を聴け」と共通するところ。読んでいる過程とストーリー全体のトーンを手掛かりに読者に何かを残す感じ。
両者とも読んでいる過程はまあまあ楽しめた。
次!
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これまで避けてきた作家。知人の強い勧めにより読むに至ったが、「ライ麦畑でつかまえて」が嫌いな私としては、やはり村上春樹も避けていたかった。
平易な文章で当時(1979)としては斬新な切り口であったであろうと思われるが、現在となってはインパクトがあるとは感じない。平易な文章の割にストーリーの難解さは予想通りだが、この辺は最近のものも読まなければ何とも評価し難い。
率直な感想としては、日本的でない。これが翻訳された書物だと言われても納得するだろう。村上春樹の本は英訳がしやすいという。日本的な表現が避けられているのか、無意識にそういった文章になるのかはわからないが、日本的な表現が少ない中では、私は「空気」を感じることができないのでやはり苦手だ。どうも情景は想像できるが、日本の風景が浮かばないのだ。異国感がある。
日本文化を背景にした日本的な表現・・・これも大切にしたいが、国際社会において日本人にしか伝わらない表現では共生できない。その社会で要求される表現はこの本の書かれた70年代から始まっていたのだろうか?
日本語教育は何処へ向かえば良いのか・・・悩ましい。
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発刊されたのは2006年2月だが、書かれたのは2005年12月である。それはあとがきを読めばわかる。この時代背景が絶妙な時期にあるので、そこを前提に読み込まなければならない。
それはライブドア・堀江貴史が逮捕されたのが2005年1月、村上ファンド・村上世彰が逮捕されたのが同年6月、ディズニーがピクサーを買い取り、ジョッブスがディズニーの筆頭株主となったのも2006年である。
堀江にしても村上にしても、楽天やディズニーにしてもサンプルとして登場する。一番身近なサンプルが登場するが、転換されていくのは2006年以降ということを考えると、執筆時期が残念である。
本の内容としてはとてもわかりやすいのだと思う。とはいっても、そうそう、こういった本は読まないから比較できるものではない。
しかし、専門外の文献は分かりやすく書いていても、語彙的に困難であったり、しくみが新たな世界を示すものであったりするので一般的な新書よりも読むのに時間がかかった。かかりすぎかもしれない。それでも新たな知見を広げていくことは自分を広げることでもあるので困難ではあっても楽しい読書とはなった。
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この本は売れたのだろうか?2007年1月に出版されたものだが、2006年のウェブ進化論から時間が経っているにも拘らず、のうのうとWeb2.0を語る。今読むと古い感じがして、面白くない。
指定図書なので仕方なく読んだのだが、なぜ今この本を指定するのか理解に苦しむ。
恐らく著者が言いたかったのは最後の21世紀型経営スタイル「共進化」なのだとう。成功例を挙げているが、成功例というものは具体的な施策を考えるときにはほとんど役に立たない。むしろ必要なのは失敗例だろう。企業がパラダイムシフトするのにこれだけのサンプルでシフトするわけがない。
おもしろくも何ともない本で。経験抜きに想像だけなら書けそうな本。
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前回から引き続いての「対話」をテーマとした本だが、この本はより実践的で教育者にとって参考になる本だ。目白大学の外国語学部・日本語学科長の教授による著書。
様々な側面から対話を分析している。私の認識の対話はここで止まっていたなぁ、とかなるほどこうすれば具体化できるなぁ、なんて気づくことができる。
勿論、この人の言うことをすべて肯定できるわけではない。これはちょっと・・・というのもあるが、考え方、アプローチの思想は共感できる。
いずれにせよ、自分なりに具体化しなければなるまい。
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会話と対話は違うーという出だしから「その通り、対話がありません」と、私も対話を避ける傾向にあることを納得せざる得ない日本人です。
そのようなタイトルを銘打って登場したこの本は、劇作家・演出家でもある平田オリザとフィンランドメソッドの北川達夫の対談。なるほど、うーんそうだなぁ、としみじみ共感しながら読める。絶賛できる本です。
では彼らの言うような教育は具体的にどうするか、ということは書かれていない。「私」が考えなくてはならない。
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ほぼ毎年読んでいた賞の作品なので読んでみたのだが、ダメダメです。江戸川乱歩賞もここまで落ちたか、という感じ。しかし、ここまで落ちたということは、応募する側にとっては、レベルの低い作品でも受賞できる、ということにもなる。しかし、読み手としては、もう購入する気にはなれない。
江戸川乱歩賞は、今現在の時代背景を読み解き、心の闇をミステリーを通じて表現している作品に賞を与えていたと思う。西村京太郎の作品(確か昭和40年代の作品)が象徴的だ。
しかし、この作品はメッセージが無い。いや、あるのだが、非常に幼稚なメッセージ。言い尽くされたメッセージを最後に残すが、白けてしまう。今の時代に必要なメッセージではない。40年も前ならありえたが・・・
表現も下手だ。ミステリーは情景描写、心理描写が巧みに表現されなければ、呼んでいる側はヒントをどんどん減らされるので全く読む意欲が減退させられる。昭和30年代を描いているのだが、全くその空気を表現できていない。現代の刑事が捜査している情景を描いている、といわれても何の違和感も無い。昭和を描いてはいないのだ。いや、描けないし、著者は勉強不足だろう。
小説から空気を抜いたらもう走れない。ダメダメです。江戸川乱歩賞をとっても、小説家としてはやっていけなくなっているのは明確だろう。
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あさのあつこ・・・と言えばバッテリーですが、読んだことも無い作家のシリーズものなんて・・・そんな長いの読む気しない。
で、購入したのはこの福音の少年。ミステリー仕立てで、かなりエキサイトして読むことができる。書き下ろし方がとても上手い!
しかしだね、ミステリーではないんですよ。ここに賛否両論がある。隠されている深い部分について知りたいという思いから、かなり読むすすんですが、あさのあつこの描きたいのはそんなことじゃない。あさのあつこにしてみれば、それはどうでもいいことなのだろう。人の心の動きを描きたかった・・・そういわれればそうなのだが、
でも・・・
結末書けよ。
たぶん書いてたら、ベストセラー!
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苅谷氏のシリーズとなっている「検証 地方分権化時代の教育改革」の3冊目。昨日、本屋で見かけたときには違和感があった。それは「何で苅谷氏が和田中?」。内容は和田中批判かと思ったのだが、違った。
そもそも和田中の情報はマスコミの刷り込みが災いして誤解があったと理解したのは本書を半分も読んだ後だ。相当な誤解が日本中に浸透している。ニュース23はリベラルなふりをしているが、違う。ニュース23の報道はかなり偏っている。少なくとも和田中に関しては確実に。
そもそも学校の取り組みを一つの側面だけで評価を下すことはかなり危険なことだ。これは環境問題と同様で、どう連鎖しているのかは見えずらいことだ。
新自由主義的な学校づくりがもてはやされており、それを象徴するかのような取り組みが引き出され、もてはやされる。しかし、その下支えとなっているのは、地道な教職員の取り組みだ。
杉並区の土地柄、生徒層も踏まえ、和田中を内側から再評価していく必要を覚える。しかし、最後に苅谷氏との対談があるが、そこでの藤原元校長の考え方にはしっくりこないものはある。やっぱりリクルートなのかな。
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割り箸のエコロジーが20年ほど前に言われ始めた大学生の頃、私は自分で調べてみて、割り箸は使ったほうがいいという結論を得た。それは道北に行く機会に現場の人に直接聞いてもそうだった。その頃から私はエコロジーと言われる「不便な運動」を鵜呑みにできないと考えている。
ただ、割り箸について言えば、国外から輸入される割り箸を使わない方が良い、ということだけは言える。
この本はそういったエコロジーを批判的に読み解く本である。しかしながら、これも鵜呑みにはできないと思っている。結局、環境という連鎖反応を起こすものは人間にはわからないと思うからだ。ただ、研究することは必要だろうと思う。
エコロジーを批判的に観た場合ということで捉えたらよいと思う。この本で様々な「考えなければならないこと」「検証しなければならないこと」がわかった。必ずしも著者の結論に同意しなくても良いのだ。
しかし、この本で共感したことがある。最後にある「心が満足していると物は少なくて済む」という観点だ。確かに心の隙間を埋めるように、物を欲しがり、その物で自分を正当化してみたり、とそんな人は周りにたくさんいる。そもそも自分を正しさを証明することは不可能だというところにたたなければ他者と共に生きる世界を生み出すことは不可能だ。人間は醜い。
物を中心にしたり、環境を中心にしたりする物差しでエコロジーを考えるのではなく、人が満足して生きられる世界を生み出していくために、人の心が満たされていく世界が生み出されるように、それを第一としてエコロジーを考えたい。
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読むのは6冊目となった福岡伸一の岩波ブックレット。講演を文字におこしたもの。これまでの5冊をかなり簡略化した内容だが、要点がまとめられており、復習には最適。
復習ということもあって、とくに考えさせられることも無いのだが、さて、来校するまでどういった学びを構想するかが、課題。しかし、ヒントは見つけられた感じはする。
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姜氏の本の中では、かなり読みやすい本。
夏目漱石とマックスウェーバーを中心に哲学を論じているのだが、政治学を専門にしている中で、ここに着地する点に圧倒される。
悩む力とあるが、相当の自信のある論だとも感じる。サブタイトルが無いのだ。一般的な評価としては「悩むことを肯定する」こととしているが、私はそういう点でこの本が評価されるべきではないと思う。
現代において「生きること」「生きることへの意味づけ」としてリアリティがあることだと思う。
また、教育という観点ではないのに、教育に必要とされる観点「人間像」をしっかりと描いている点に圧倒される。
非常に共感できる本であった。
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最近は、時間が無いために、拾い読みばかりしている。バラバラを色々な本を読むために、専門書でさえも摘み食いになってしまっている。久しぶりに「最初から最後まで」読み通したのがこの本。この本は精読が必要とも感じ、時間をかけた。
この本の著者の話を先日、直接聴いたこともあり、購入。
かなり刺激的な本だ。
「読む」技術というタイトルは、齋藤孝みたいで非常に軽く感じられるのだが、そんな軽いもんじゃない(齋藤孝の本は中身が薄いと感じる)。今までの「私」のデータを読み解く視野を広げられる。これまでの私なりの読みを客観的にどうであったのか、という点検にもなる。特に、データと情報の区分や、歴史、百科事典といった「データ」を読み解くこと、検索ではなく、探索することが示されている。
今後、この読みを実践していきたい。
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私にとって多大な影響を受ける書となった。
古典となっているデューイの著作。しかし読みやすくは無い。翻訳が下手すぎるのだ。直訳に近い。言葉の選択も悪い。なぜ、この翻訳が改訂されないのか?岩波書店は意識的に翻訳を改訂していかなければならないと思う。手を抜きすぎている。プラトンとかの方がよっぽど読み易い。
だからといって、ここに書かれていることが悪いわけではない。かなり良い内容だ。色々と勉強になる。しかし、この本に費やす時間はページで考えると一般的な現代小説の3倍かかる。従って304ページまであるこの書物は900ページを読むに等しい時間がかかったということだ。それは時間の問題だが、考えなければ理解できない本でもある。本から視線を逸らして考える時間が必要なのだ。
何度か読まなければ深い理解には到達しまい。まずは1回目として読み終わったということでした。次は(下)に行かねばならぬが・・・
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重松清の作品。2冊目となる。申し訳ないが、この方の本をハードカバーで買う気持ちには至っていない。新潮文庫の安いものだから買ったというところ。なぜかは自分でもわからない。無名作家のハードカバーは易々と買ってしまったりするのだが・・・
さて、内容だが、こういった形式の小説は正直初めて。短編を積み重ねて、一つの物語にしているが、時間は前後するし、語り手は替わるしで、最初は戸惑った。この構成の狙いは理解できないが、戸惑ったが悪いとも思わなかった。
主要テーマは「友だち」だ。友だちって何なのかを考えさせる。しかも重松清は「こういうのが友だちだ」という押し付けがましいことはしない。読者に委ねている。しかし、そのときに、この本に出てくるケースの友だちを否定せずに、友だちを定義してみよ、と要求しているように感じる。
確かに、こういったケースを否定する権利など何も無いし、友だちが多いから、心を通わせているとも限らなければ、少ないからといって貧しいわけではない。そういった友だち感というものを自分の世界だけに捉われずに一般化することはおかしい、とでも言っているようだ。
この友だちってのは、棚上げにしたとしても、この小学校・中学校時代というものの、友だち感覚っていうのはこうだったなぁ、と思い出される。素直に謝れない小さい自分がいたり、断ればいいものを断れなかったり、そんなことも思い出させてくれる作品だ。
ほのぼのとした、忘れていた世界に戻してくれる。
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ヴィゴツキーを日本に紹介し、その第一人者とも言える柴田義松の著書。2006年11月に出版されたもので、一定の日本の教育情勢が反映されている。
メインは日本語、つまり国語教育。しかし、その教育の構造はかなり納得のいくものとなっている。特に、明治時代の石橋勝治から大西忠治、吉本均の1980年までの学習集団づくりへの系譜を読み取ることが出来る。また石橋勝治とジョン・デューイは時代的にも周辺教員関係的にも無関係ではなく、ジョンデューイ、石橋勝治、大西忠治、吉本均そして竹内常一といった流れが理解できるし、そもそも学習集団という根本的なあり方から派生した大西忠治、吉本均という理解は枝葉の方法論ではなく求めていた教育のあり方が理解できる。
なぜ、今、この学習集団か。
それは、私の勤務先が「民主的教育」を謳った教育理念を持つからだ。そもそも「民主的教育」とは何か?にジョンデューイは明確な定義を与えてくれている。民主的という言葉は「戦後レジューム」という言葉によって、否定された感がある。しかし、ここで「そもそも」と考え直し、捉え直しを行わなければならない。
現在私は、フィンランド教育、学びの共同体、といった路線をこの民主的教育に接続した捉え直しができないのか、ということを思考している。この大枠で接続させたい。
しかしながら、この本の記述では残念なことがある。それは大西忠治の実践や方法論に評価や弱点を指摘しながらも、その理論に固執するがゆえに、佐伯胖や佐藤学といった「学びの共同体」思想・実践に批判を加えていることである。
なぜ、ここまで彼が敵視するのかはわからない。敵視するのは「教え込み」教育ではないだろうか。
大枠の中では柴田の思想も、佐藤学や佐伯胖の思想も同じものに向かっていると感じている。枝葉の議論で分派していき、対峙しなければならない対象に連帯していくことができない学者のエゴが見え隠れしないか。
柴田の佐藤学や佐伯胖への批判は、「それでは足りない」というものに過ぎないと読み取る。確かに、授業だけでは学校は運営していない。だから、授業だけを変革しても、教育の抜本的変革とはならない。しかし、だから佐藤学や佐伯胖を批判し、連帯できないというのでは、こういった正統派学者達が日本の教育を変えていく力にはならないであろう。
日本は戦時中もこういった分派・派閥という思考が戦争をくい止められなかった歴史がある。戦争に反対するキリスト者と共産党員が「戦争反対」で一致するのではなく、思想的に仲違いをしていては力にならないのだ。一致するところを探し出す、そんな社会を望みたい。そうでなければ教育界も変わらない。
話はそれたが、良い本だと思う。一つの具体的な大西実践の記録を通して学ぶべきことは多くある。
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サブタイトルは、「7つの習慣J」プログラムの実践、である。興味は無かったのだが、職場に送られてきたので、読んでみた。ちなみにJはジュニアの略。
この本は宣伝用の本の何ものでもない。少なくとも啓蒙するための本ではない。この本を読んで「7つの習慣J」がわかるわけではない。「7つの習慣」については本になっているので、そちらを読めばよいのだが、生徒向けプログラムは本では理解できないようになっているのかもしれない。何せ、研修を受けなければ資格が得られないということだからだ。
色々な実践例が掲載されている。つまり「結果」を提示して、成功しているからあなたもどう?ということだ。そのHow toについて、何ら疑義を挟むものではない。だって、この本読んでもわかんないし。
ただ、言えるのは、研修に「不合格になる教師が出る」場合もあるということ、この本では「成功例だけ」を掲載していること、それが気になる。異なる思考や方向性を持つ教師とどう共同していくのか、7つの習慣に乗らない生徒をどう指導するのか?そこが問題なのだ。
文章から読み取るニュアンスは必ずしも成功はしない。退学者が50人から20人に減ったという記述は、確かに前進なのだが、その20人は何を指導したのか?不登校なのか?退学処分なのか?
この本のロジックに従えば、その20人(7つの習慣Jプログラムに乗ってこないのはこの20人だけではないだろう、氷山の一角に過ぎないのは明らかだ)に足りなかったのは、教師の熱意だった・・・という結論か?ならば、それは通常の指導と大きな差異は無いように思おうのだが・・・どうか?
学校に取り入れられる様々な方法の一つとしては認めることが出来る。しかし、この一本では学校は成り立たないし、その資格を得ることができない教師が出てしまうことも不自然極まりない。
現在文部科学省が提唱する「不適格教員の排除」を目的とした「教員免許更新制」の企業版といった感じがする。
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福岡伸一氏5冊目となるが、これは爆笑問題との対談で、テレビ収録をノベライズ化(?)したもの。「爆笑問題のニッポンの教養」というシリーズものの1つだ。
これまで読んできたことを非常に軽く、簡単に書かれている。私は生徒の教材を探しているので、こういった簡単に書かれている本を探していたので、繰り返しでも特に問題は無い。教養的に読もうとするのであれば「生物と無生物のあいだ」の方がいい。
哲学的な話も入るが、新しい福岡氏の側面としては「ことば」を大切にしていること。科学をどう納得するようにことばにするかは、やはり科学者の役目だろう。
さて、7/29付毎日新聞では、狂牛病の検査について、この福岡氏とは逆のトーンで記事が出ていた。福岡氏が何かリアクションをするのか、否か?
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これで福岡伸一氏の単独著作本は最後になる。前半はこれまで読んだ本の繰り返しで、流して読めるが、さすがにブルーバックスのシリーズなので後半になると、かなり専門的な(専門で勉強している人でなければ想像ができないモデルの)提示があり、理解を深めるのはやや困難な箇所がある。
ただし、この本は、プリオン説がどれだけ不確定要素をもった「仮説」であるかが述べられているので、未解明の問題を試行錯誤で研究していくことを理解するには実感の沸く本では在る。
一番よくわかったのは研究には大変な労力は勿論のこと、それをも含めた「お金」が必要、ということ。
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福岡伸一三冊目となる。少し古いが、しかし、彼の思考基盤となる理論がやや多めに詰まっている本だ。
このタイトルも意味深いことが読んだ後でわかる。
もっとも興味深かったのは、狂牛病の発症システムに照らし合わせた人間の記憶システム。この2つに辻褄があわなければならないことから、どういう仮説が成り立つのかを述べている。大変面白かった。
ただ、読む前と読んだ後では、やはり気持ち的には牛を食べる気にはなれなくなっている。
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東大附属の最新版。比較的6年間の教育の営みをゆったりと捉えることのできる本となっており、教育の本質的な思想について語るものではない。
他の本で見られた授業などの学びを深く掘り下げた記述は少ないのだが、この本では「行事」の位置づけについて、比較的多くのページを割いている。こういう観点ではこの学校を観ていなかったので、何か教育のゆったりとした時間の流れを感じることができる。教育の営みがセカセカしていないのだ。
堀川高校の本などでは、とにかく「改革」を進めているという感じで、時間軸区間が狭いのだが、この本は歴史的な経緯から描いているからか、「改革」というよりは、ゆったりとしてた「進化」を感じることができる。
他にも双生児の研究成果なども記載されており、多角的に参考になる。
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苅谷氏と北大教授の山口二郎氏の対談のブックレット。
出版されたばかりで、近々の教育情勢を踏まえた本。こういう本は出版されてする読んでおきたい本だ。教育政策が変わってから読んでもあまり意味が無い。
印象的なのは冒頭の「格差は英訳すると何の単語なんだろう」ということから始まり、それは「differential」ではなく「inequality」だろうと述べる。つまり、「不平等」だ。
なるほど格差社会という現象的な言葉よりも、生み出されてしまったニュアンスのある「不平等社会」のほうが的を得ている。「格差社会は仕方が無い」という意見があったとしても、「不平等は仕方が無い」とは言えない。その社会の捉え方から見直していかなければならないのかもしれない。
この冒頭の内容からも、教育についてよりは、苅谷氏の専門である教育行政学と山口氏の専門である行政学という接点からの対談となっている。勿論、教育者もこの観点の考察は必要だ。
ただ、賛同できる部分と賛同できない部分はある。それは仕方が無い・・・
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福岡伸一二冊目となり、ようやく福岡氏の思想のバックボーンが見え、彼の思考に追いついた感じがする。
ロハスについては知ってはいたのだが、じっくりと読んだのは初めてであった。正直なところロハスは「環境至上主義」と考えていた。環境問題については色々と疑問点が多く、私自身の結論が出ていなかったのが正直なところだ。
例えば、割り箸「使わないほうが環境にいい」という直線的な環境保護は大嫌いな考え。環境というのはそんなに単純なもんじゃないってことは少し考えればわかりそうなものだ。実際にはもっと複雑で、「どこの」割り箸を使うのかに拘らなければならない。あとは、人間も自然のひとつだということ。ここを自然対人間という構図を作ってしまう考え方にも納得ができないでいた。だからといって私が湯水(これも変な表現だが)のように自然を消費すればいいなんてことは考えてはいない。人間の生活や経済が優先であるとも思っていない。どちらかといえば、人間の生活のために自然を守る、という考え方にならないのか、と思ってはいた。しかし、その考え方は誤解を招くし、すっきりとしないとも感じていた。
そこでこの福岡氏の2冊の本である。この「ロハスの思考」だけではなく、「生物と無生物のあいだ」という本を読んで、割と納得できた感じがする。
遺伝子や生物学の説明はやや難しく、読むスピードも落ちるので、少々煩わしい感じがしたのだが、これを生物学の説明抜きでロハスの考え方を理解できたかといえば、理解できなかったと思う。このロハスの考え方は一般的にきちんと理解されていないいのではないだろうか?対談している坂本龍一も理解していないのではないかと思ったのだが、気のせい?
ロハスは流行語みたいになってしまった感があるが、その名前はどうでもいいとして、考え方をこの辺に定めていかなければ、環境問題のウソのような論争が絶え間なく続くのではないだろうか?
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急遽、一気に読み込んだ。久しぶりに科学者の本を読んだ気がする。なかなか面白い展開で描かれた興味深い科学の新書。
なぜ、急遽読むことにしたかといえば、当選したから。著者が本職場に来るとなっては、読まないわけにはいかないだろう。
この本の中で印象的なのは、動的平衡という考え方や時間という概念。非常に興味深い。自然というものの観方を変えられる。遺伝子に纏わることなので私の専門ではないが、わかりやすく書いているので読みやすい表現になっている。
しかし、どんな本でもそうだが、一冊では著者の想いはしっかりとは掴めない。様々な角度から観るためにも、さらに読もう。
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直木賞作品。賛否両論でる作品という意味でよい作品なのかもしれない。しかし、作者が描こうとしていることは、こういう関係設定でなければ描けないことなのか、と問われれば、違う描き方もあったであろうと思う。私は個人的に、この近親相姦という状況設定は好ましいと思っていない。
人間関係というものを描いたのだとすれば、すごい深いところまで抉り出しているようにも思う。全く親戚のあての無い中で、狭いアパート暮らしの中で、人はどの関係に依拠するのかということを思い巡らした時、このような関係しか選択肢は残されていなかったのかもしれない。
それは、血ではないのではないだろうか?その血を取り除いて考えた時、この小説の意味を考えることができるのだが、何せ、人間関係の中でも血というものにこだわって描いているのであるから、私が考えることとは著者の想いは異なるのだろう。
面白くは無い。時間軸をさかのぼっていく方法も結論にインパクトを与えるものではなく、状態を書き下すことによって読者に考えさせようという意図があるように思う。この描き方は私は嫌いだ。
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2003年~2004年に発表した評論集。一つひとつの記事は2~4ページで区切られている。9・11、オウム、北朝鮮、タマちゃん、白装束などを取り上げながら、森達也独自の評価を加えていく。マスコミの報道では知ることができなかった側面や、一般的な評価で違う角度で評価がされる。非常に斬新であり、面白い。
文言の言い回しも独特だ。こういう表現の仕方をする本は読んだことが無かった。言いたいことを上手く喩えて表現している。
衝撃的だったのは、麻原が精神鑑定を受けずに死刑の判決を受けたこと。精神的に壊れていたかどうかの事実は別として、鑑定されずに裁判が行われたという事実は、一般市民の私たちも精神的に壊れたときに鑑定されない可能性が高いということだ。
恐ろしい国となってしまった。
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飛行機の中で読破できたほど、読みやすい本。著者をTVで観た時は軽くて信用できなかったのだが、なかなかしっかりした考え方を持っており、ほぼ私は共感できる内容で素晴らしい。数学教育における、私の考えてきたことが具体化されている感じ。考えてきたことと言ったら偉そうだが、彼の言いたいのは離散数学の普及。
現在の高等学校の数学は「微分積分」に到達する道筋を体系付けている。私自身は情報科学を専攻していたので、微分積分の意義は理解していたとしても、それが万人ということには違和感があった。数年前にも、数学の研究会に参加したときに、そういった話題が上っていた。研究発表は全て離散数学。これは楽しかった。その刺激を受けて、私も統計学を高校の数学教育で展開することを考え始めたのであったのだから。しかし、この統計学は受験には不要。未だにこれが不思議なのだが、文系も微分積分を使うか、といえば必ずしも使わない。工学だと勿論使うのだが・・・。そんな疑問を抱きつつも、現在まで理論が明確に確立できないままだった。
今、一番身近な科学が情報科学だとしたら、やはり情報科学を題材にした数学教育を展開していくべきだと思う。しかも教科「情報」は必修科目なわけだから、クロスカリキュラムとして構築できるというのが私の理屈。
「見てそれとわかる数学教育」の導入。これは早急に取り組まなければならない数学教師の課題かもしれない。
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著者はフェリス女学院長の岡野昌雄氏。
学校の教諭だということもあるだろうが、とても平易な文章で、問いを絶えず読者に投げかけ、考えさせながら読ませている。こういう角度の本はあまり無いのでぜひご一読を。
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どうだろうか?読む人によってツボが異なるような気がする。それとも女性と男性とでは違うか・・・?
帯に書かれているほど感動はしなかったのだが、しみじみと味わうことのできる作品だと思う。前半と後半で語る主体が変わる。その取り巻く環境は厳しすぎるのだが、その中でもポツポツと救われるエピソードがあり引き込まれていく。特に後半は全てが明かされていくので凄まじく引き込まれる。
ネット上では、様々な感想が書かれているのだが、この小説のツボは「自己受容」と「赦し」なのではないか。誰もがおちいる「赦せない」想い、その自分の想いが自分に矛先を向けたとき「受容」が生じる。それは他者と自分を重ねる心の力なのかもしれない。
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非常に優れており、まとまった本だ。「貧困」という言葉はなんとなくわかったつもりでいて、わかっていなかったなぁ、なんて感じる。まぁ、とりあえず読んでくれたまえ。
以下、いくつかの覚書
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タイムリーなテーマだったので手に取った。面白さもあるが、わけのわからない問答のところもある。全面的に賛同できないし、鵜呑みにもできない本。思考の参考としては良いのではないか。
松井孝典氏は科学者として登場し、それを自負しているようだが、とても知識人とは思えない論じ方が多い。科学を語らせればそれなりの答えをしているのだが、教養は狭い!科学者というのはこうだから困る。こうなると科学についての論評も胡散臭く読めてしまうから不思議だ。科学者は科学だけやっていればよい、とは言わないが、松井孝典氏はもう少し広く本を読んだりして、裾野を広げるべきだろう。この人は教養を勘違いしているように思う。
私は教養というのは色々な立場の色々な意見や見解を理解している人だと思うのだ。色々な意見を切り捨てたり、耳をふさいでいる人は教養があるとは言えないし、そういう人は一人で研究室にこもって、自分の研究についてだけ表明してくれればいい。中途半端に「学者」という肩書きのある人が畑違いを述べると、それを「非科学的に」信じる人もいるので、非常に迷惑。
「分数のできない大学生」を指摘し、ついでに「中等教育の低学力批判」をしたのが数学者であるように、科学者が畑違いになると非科学的になるケースが非常に多いのだ。
この松井孝典氏も同様で、教育について意見を述べているが根拠が浅すぎてあきれる。何と、根拠は「自分がそうだったから」だけ。それで日本中で意見を述べられたらかなわない。格差社会の中でどのような現状があるのかも、この「おぼっちゃま教授」は知りもしないし、知ろうともしていない。そもそも、知らないということを自覚していない。
学者の傲慢さもここまできたか・・・と呆れるばかりだ。そういう意味で、日本の教育は問われている。
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rereadingである。半年程度前に読んだ。しかし、そのときは教育内容を理解するために読んだので、今回は「改革の段階・過程」として読んだ。それは半年前には予想していなかった改革が、考えていたよりも進んでおり、私自身がどの段階にあるのかを知るためであった。
改革が進んでいるとはいっても、まだ初期段階だし、一部の具体化であり、水面下で進んでいるということだ。ここで気持ちを抜いてはいけない。評価と課題を整理し前進しなければならない。今の段階からさらに一歩進み出る必要性を感じている。そうしなければ、現在は「改革の過程」にあるのではなく、「中途半端」にしかならないからだ。
NEXT・・・これが今の私のキーワード。
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あの「市川伸一」の著書。「学力低下論争」では、かなり整理させてもらったが、今回も彼には大きな節目にしてもらえそうである。
「学力低下批判(=ドリル重視)」と「ゆとり教育=総合学習」の振り子現象をこの10年で経験した日本教育界だが、この振り子現象を上手く捉えて、今後の方向性を打ち出している。
私はこの1年で「学びの共同体」や「フィンランド教育」というものを中心に考えてきたので理解できる。市川氏の「教えて」は「考えさせる」ために「教える」のだ。「学びの共同体」とは何の矛盾も無い。ただ、「考えさせる」授業といった場合、「教えないで考えさせる」授業だと誤解した教師がたくさんいたらしい。その修正理論として読むべきなのかもしれない。
良し悪しは別にして、文部科学省の言わんとしていることがやっと理解できた気がする。
但し「教えあい」というのはいただけない。佐藤学を意識しているのか、「学びあい」という表現を使っていない。彼の主旨からも「教えあい」という言葉ではないと思うのだが。
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茂木健一郎著。「思考の補助線」というタイトルに魅かれて購入したのだが、私は思考の補助線というものは共同体だと思っている。しかし、全く違う観点の補助線だったようだ。
これは章ごとに全く違うトーンの話になる。かなり難解で、読み手によって全く違う解釈をするような内容もあれば、確かに!と共感するものもある。どうして、章によってこんなに温度差があるのか?同一人物が書いているとは思えないようなバラツキで、最期にまとまるのかと思えば、最期の章もまとまりなく終了する。編集が悪すぎる。この本は2つに分けて、さらに加筆するべきだと思う。
しかし、そうは言っても、共感する面もあったので、そこは記しておこう。
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尾木直樹の著作。4月に出版されたばかりのもの。「バカ親って言うな!」というタイトルは「ニートって言うな!」をもじったものと思い、「安易だなぁ~」などと思って手に取った。しかしながら、「バカ親って言うな!」というのはかなりこの本の内容を示しているものであると認めざる得ない。
昨年度、このブログにも書き込んだが、マスコミは「不適格教師」という教師の選別をし始めたと思ったら、今度は「モンスターペアレンツ」という「親」の選別をし始めた。それは互いの立場で共感を呼び、相互不信を深めるばかりなのだが、マスコミのポリシーは無い。視聴率と購買力が高まれば社会がどうなっても構わないというマスコミの姿勢にはうんざりする。尾木氏もこの点には触れており、マスコミも改善策までを追求しなければ、無責任であるということを述べている。まさに「バカ親って言うな!」であるし、尾木氏が以前出版した「教師格差~ダメ教師はなぜ増えるのか」という問題提起につながっている。
高校にも文部科学省から「学校評価のガイドライン」と同時に、「教員免許更新制」についての通達が繰り返し行われ始めてきた。この点についても関連する。学校評価・教師評価(査定)をどうするか?私学も助成金の算出基準になる様子から導入し始めている学校は多い。
学校評価は、生徒評価、保護者評価、第三者評価、自己評価と分類される。問題はこれらをごった煮にして外部業者に委託してしまう学校が多いことだ。ごった煮にすると文部科学省の通達している目的ともズレてきてしまう。特色ある教育を!と勧めているが、逆に画一化するのは目に見えている。
この本との関連では、保護者評価や第三者評価。尾木は直接顔を突き合わせて、時間を割いてコミュニケーションをとることが大切だと繰り返し述べる。もっともだと思う。顔をつき合わせずに、学校の教育目標とも無関係にアンケート用紙というペーパーのデータでもって外部業者に評価されるのはまっぴら御免だ。
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よくあります。売れた本は強引に「2」を書き下ろさせる、その出版社の企み。そういうのに乗るなよ、と言いたくなるでしょうが、はい、私は乗りました。ごめんなさい、
前編が「1」と付いていなかったことを考えると、この「2」というのは想定外の著書なのであろう。しかし、それでもよく書き下ろしたなぁ、と感心する。
2年生から3年生となる最上級生としての高校クラブ人の心情をよく追いかけている。ここでは「恋」と「進路」がもうひとつのハードルとなる。
「1」ほど面白くないにせよ、「1」と同様、不思議な記述がいくつかある。これが深い考え合ってのことか、アクセントとしてなのかは読みきれないのだが、前者なのでは?と私は読んでいる。
というのも、ここでバスケ部の生徒がW大とかA大とかのアルファベットの進路が出てくるのにも関わらず、なぜか国際基督教大学だけがフルネームなのだ。もしかしたら、著者は国際基督教大学OBなのかもしれないが、本のタイトルに「T校」としているだけに、非常に不自然。
キリスト教会でのバスケット練習も意味ありげだが、それと繋がって、前編の最期の記述では、俊介は将来、宣教師となることも意味ありげである。
コロは小説家となる、との記述もあり、もしかしたらこのコロが著者かもしれないが、この記述方法も聖書にまねているとしか思えないが・・・。
さまざまな憶測が生じるが、「3」を待って、この著者には注目しておこう。
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書店での拾い買いの本だが、なかなか面白い小説。但し、高校生向け。
最近は野球部を描いた「バッテリー」、陸上部を描いた「一瞬の風になれ」、剣道部を描いた「鹿男あおによし」、とクラブ活動を描いたものが売れている。但し、結果的にクラブ活動だったのであって、クラブ活動のために書いていないという点では、この本とは異なる。この本は、バスケットを描きたかった感が強い。それだからかわからないが、バスケットの試合の描き方は上手くはない。また、自分との闘いよりは、仮想敵を立てて物語の流れを作っていってしまうところも異なるのかもしれない。
ストーリーは、漫画「キャプテン」に良く似ている。
著者の松崎洋はこれまで著書を出していなく、歳も傾向も、どういう人物が全くつかめていない。ただ、ひきこまれるように呼んでしまうことは確かで、その辺の表現技術で言うと、素人とは思えないのだが・・・
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大御所・佐伯胖氏の著書。5年前の著書であり、講演記録などの寄せ集めということを読み取っても、10年以上前のものもあるであろうが、全く古びていない。
認知心理学というものが、とてつもなくすごい学問にも思えてくる。そして、その視点での「学び」という捉え方は、全く納得のいくものであることに驚く。
以下、重要事項を覚書としておく。
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面白い!伊坂幸太郎の本だが、これまでとは違う味を出している。物語の設定が奇妙だが、それなりに辻褄があっていて面白い。短編集だが、結果的に全て繋がってくる。特に最後の短編は私の好きなプロットの取り方だ。エンタメとして楽しめる一冊。
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短い(2ページ~4ページ)エッセイを寄せ集めた本だが、一つひとつがとても言葉が選び抜かれており、考えさせられる。一気読みするにはもったいない本だ。
最近、特に感じるのだが、ページ数ではなく、言葉が一つひとつ選び抜かれている本は、一気読みできない。深くて考えさせられるからだ。
しかし、最近売れている新書は、すーっと通り抜けてしまい、中身が浅いように感じる。そうのほうが思考停止できるし、売れるのかもしれないが、人に必要なことは「自分の生活に引き寄せて考える」ことであろう。
特に印象に残ったところを記録しておこう。
苦しみがなくなるようにではなく、苦しみでなくなるように
神の視線のもとに生きる安心感と喜び
節約することはケチることではなく、無駄をしないこと
大丈夫の小石
人間の自由とは、諸条件からの自由ではなく、それら諸条件に対して自分の在り方を決める自由
真の自由人というのは、俗な言葉でいうと「わかっちゃいるけどやめられない」ではなく、「「わかったことがやめられる人」
(ほほえみは)「私はあなたを一人の人間、かけがえのない一人としてみてますよ」という好意
と書けばきりがない。詳しくは本を読もう。
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本屋大賞の作品。過去には「博士の愛した数式」「夜のピクニック」「東京タワー」、そして去年は「一瞬の風になれ」であった。一応、すべて読んでいるので、伊坂幸太郎は「ラッシュライフ」「重力ピエロ」「オーデュポンの祈り」と読んできて、やや飽き足りた感があり、あまり気が進まなかったのだが、本屋大賞ということで読んでみた。
その項目の語り手をイラスト化し、見出することは同じだが、その飽き足りた感は良い意味で裏切られ、ストーリーは飛躍的に変化した。構成、プロット、ストーリーの前提と隙がない。何がここまで変えたのだろうか、と思わざる得ない。今までのタッチが消えているように思う。読みやすく進化したように感じたが、著者は「こんなのも書けるよーん」と言って舌を出しているのかもしれない。
ただ、ストーリーの結末は賛否が分かれるところであろう。良い意味で後味の悪い作品である。
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今回は、前回の続きで、4章・5章・終章の3つの章について
4章は、東京大学教育学部附属中等教育学校の理科教師による実践レポート。フィールドワークから「自然とは何か?」そのような問いかけの実践報告があり、非常に興味深い。実践したいテーマだ。大御所「佐伯胖・佐藤学・藤田英典」とレポートを書いた本人が対談する箇所もある。話に出てくる「フィールドワークノートブック」というアイテムも興味深い。これらを現代風に、デジタルカメラを利用した記録というものがとる事が出来ないかと刺激された。
5章は座談会。佐伯が進行役を務めている。科学ジャーナリストというものを想定していることがおもしろい。そうそう、科学者を生み出す必要はない。科学者を監視する、監視できる市民が必要なのだ。
終章は「科学を教える」ということ、として佐伯が書き下ろしている。ここは読んでもらえればわかるが引用文にて終わりたい。
科学を学びということは、このような多種多様な人々の「科学を語る」ディスコースに耳を傾け、自らも参加する、ということを考えるべきであろう。
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執筆を必ずしもしているわけではないのだが、編集は「佐伯胖・藤田英典・佐藤学」である。
現在、「総合科学」という授業を理科教師とともに行っている。そのため、「科学」をどう理解するかが問われるし、問わなければならない事項として、この本には深い興味を持って読み始めた。また、「共同的な学び」を考えるとき、大方の教育論議は文系に収斂されてしまう。しかし、この本は、そんな文系に収束されがちな「共同的な学び」を「科学」というジャンルで追求している。
ここではそんな文献の1章から3章までについて触れたい。
やはり、科学分野での共同体的学びで中心的舵をとるのは佐伯胖となっている。10年も前の文献だが、かなり興味深い記述が多い。
ヴィゴツキーの考え方である、「知識は、意味のある問題や課題や道具について、語り、活動し、相互作用することによって社会的に構成される」という考え方に沿って、理科の授業を考えた時、科学を理解するというときに生徒の中でどのような試行が起こっているか、そんな分析とイメージが必要になる。
単純に実験すれば理解するわけではない。帰納と演繹を交錯させた思考の試みが必要。しかし、どう実践していくのか?
ここまででは、そこに研究の価値ありと観ている。
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読みやすいし、考えることを刺激するいくつかのエピソードを記述している。しかしながら、ミステリーとして読むのはあまりお勧めしない。核になるミステリー部分については、疑問を持たざる得ない。
考えさせられた文中のいくつかの「問い」がある。これを肯定するわけではないのだが、果たして明確に言葉で答えられるのか?という問いである。そういう意味で考えさせられた。
このような問いかけが繰り返されるところにこの本の良さはある。ただし、筆者が出している答は非常に陳腐にも感じるが、そこは問題にしないでおこう。
「私」が言葉で答えられなければならないものとして受け止めたい。
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著者が身近にいることから、中古をアマゾンで購入し、読んでみた。
難しい本かなーと予想したが、文面は読みやすく、オウム事件が日本を震撼させた当時を思い浮かべながら読むことができた。
読みやすいといっても、内容は簡単ではない。宗教者として、宗教者としての使命とか、宗教の役割というものを考えさせられた。また、そういった現象が生じる日本において、どういう現象だったのか、ということを考察することは、著者のいう通り求められていることであろう。
今一度、宗教を考えたい。
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「理科離れ」を念頭に置いた、科学教育に対する提言。
そもそも科学とは何か?というところから、初等中等教育から高等教育まで、科学教育の在り方を提言している。その提言そのものはあまりピンとこない。しかし、その提言に至る科学の捉え方は学ぶところが多い。科学というものの定義はしにくいものがあるが、それぞれの教育者の中で定義しておくことは必要だと思う。ただ、それを共通言語として用い、独りよがりになっていくことは危険なことでもあろうかと思う。
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東京からの帰りに空港で拾い買いした本。久しぶりにこの手の小説を読みました。
時代はバブル期の80年代なので、その時代を知らない人には楽しめるかどうかは不明。私は十分楽しめる。また、主人公は「理系」なので、それまた私が楽しめる一因でもある。
普通の恋愛小説として読んでいいのですが、「最後から2行目のどんでん返し」で「二度読みたくなる」とのコメントがあります。あらゆるところで矛盾は見えてしまう。矛盾を感じながら最後に騙されますが、矛盾を感じないで読んでも最後に騙されます。あまり想定できない騙され方なので、最後にはびっくりします。
しかし、単純な恋愛小説としての価値もあると思います。「イニシエーションとしての恋愛」という見解をどう考えるか?さあ、読んでみましょう。
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ノートルダム清心学園の理事であり、シスターである渡辺和子著。
予想以上に読破することに時間が必要だった。大学の講義の記録のようだが、かなり圧縮したものとなっており、9回の授業内容は濃い。濃いがゆえに一気読みしても身にならない本だ。それはそうだろう、大学生であれば半年は聴き続ける内容なのだから。だから、一日1講義だけ読んで終えた方が賢明だと思う。
ひととして大切なことーそれをひとつひとつ意味付けをしてくれている。現実への転換と言葉が巧みだ。また、その中にキリスト教的なもの、考え方なども織り込み非常に勉強になる。
これも薦められた本なのだが、自分ではやはり選ばない本。視点を大きく変えることによって、大きな学びと成長になることを実感する一冊であった。
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10代、20代のころは一生懸命に雑誌を読みながら勉強していたことも、40を控えた今となっては、ほとんど勉強する機会の無くなったスーツの雑学。関心はあるのだが、そういった雑誌を定期的に読んでなければ、難しい。
そういったギャップを埋めてくれる本。なるほど、と思わされることが多い。特に「色・柄」という観点では自分に似合うかどうか、という観点しかもっていなかったが、歳を加えることによって似合う「色・柄」というものは変化するという点が斬新。だからと言って、派手な格好をしようとは思わないが・・・
ただ、最後に書かれている「背景に徹する」というのは非常に共感する。こういった観点でスーツを改めて選びたい。
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素敵です。ある方にいただいた本ですが、決して自分では選ばないだろうなぁ、と思うだけに今まで読んだ本とは全く違う世界を表現してくれていることに新鮮さを感じる。全く違う世界と言っても価値観が違うということではない。むしろ価値観にはとても共感できる。
東欧という地理的な側面と文化の違い、記述が60年代から90年代への飛び方、などなど様々な側面で真新しい。
3編ある中の一つ「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は面白いのだけれども、アーニャの結末に残念な気がする。ただ、3編ともそれぞれの生き方に魅力を感じる。それは決して裕福だったり、自由であったりするのではない、むしろ裕福で不自由か、貧しく虐げられて自由か、といった人生が垣間見える。どちらを私は選ぶのだろうか、と激しく問い続けるものもある。改めて己の生きざまの甘さを感じる。
この本で聞きたい曲がU2の「WALK ON」。U2がスーチーさんに捧げた曲だが、本当にこの曲が沁み込んでくるような、そんな本だ。
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小樽市教育委員会が後援している「児童文学ファンタジー大賞(http://www.ehon-ej.com/award_fantasy/)」の授賞式で行われた式典でのシンポジウムを文字に起こした本。その2003年11月13日の記録と論考・エッセイが加えられている。この主催となっている「絵本・児童文学研究センター(http://www.ehon-ej.com/)」というものの存在も、小樽市にあるのに知らなかった。
とにかく、この学者陣がすごい。学ぶ力を論じるうえで、この上ないメンバーとなっている。河合 隼雄, 佐伯 胖, 工藤 左千夫,工藤 直子, 森 毅。書いてある一言ひとことも重みのある深みのある言葉となっている。児童文学については、工藤左千夫が述べているが、私自身誤解があったことを反省させられた。生涯教育としての児童文学という見直しもできる。なるほど、ナルニア物語ってそういう意図かぁ、なんてね。
この本は、わかる人が読まなければわからないのかもしれない。「学びの共同体」を理解した後で読むと、かなり心にも頭にも響きわたる言葉満載の本だ。
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「子どもへのまなざし」を書いた佐々木正美の著書。2年前の本だが、最近の傾向をよく捉えており学ぶことが多い。平易な文章なので、読みやすく、わかりやすい。思想的には河合隼雄の「父親の力 母親の力」に近い。この本も同様に最後の方では「父性と母性」について述べている。
こういった本を読んでいて気になる言い回しがある。それは「あなたはあなたのままでいい」という言い回し。どうもシックリこないと感じている。言いたいことはわかるのだけれども、それはわかっていることを認識するレベルで言いたいことがわかるだけで、この言葉できちんと伝わるとは思わないのだ。
「あなたはあなたのままでいい」のであれば、「何も変わる必要のない人間があるのか?」そういう問いかけに重ねて答える義務がある言葉であると思う。この問いに応えるとするなら、人格を変える必要は無いというニュアンスの言葉である、ということを伝えたい。
そこで、これは私の現在の到達点だが、例えば
「あなたはあなたのまま成長していけば良い、学んでいけば良い、歩みを進めていけば良い-急ぐこともないし、人格まで変えようとしなくてもいい、自分が自分のまま自分を広げていくことを求めて生きてもらいたい-」
という言い回しに変えてもらいたいと思っている。そうしなければ、「オレ様化」する子どもたちを生み出すことを肯定することにはならないかと思うのだ。決して「そのまま」では生きていることにはならないと思うし、自由ではないと思うのだ。デューイの言う自由「発達していく経験の連続」ということで、日々生まれ変わることが重なって、初めて人は「生きている」のだと思うからである。
本とは離れたところでのコメントが多くなってしまった。しかし、重要なことなので、覚書として遺しておきたかった。
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つくづく本の選択というものは神懸かりだと思う。
この本は1938年に書かれたものであるが、今の日本にタイムリーな教育課題を示している。この間、日本は「ゆとり教育」と「低学力論争」に揺れ、学派は二極化したように感ずる。しかし、そういった二極化した中でも文科省の教育政策に振り回され続ける教育現場もある。果たして今の日本の教育者はそれでよいのか、という不安はぬぐえないであろう。
デューイは教育学を学んだ人なら一度は耳にしたことのある名前だ。しかし、私は教育学を学んだわけではないので、初めて読んだ次第である。いささか遅いと批判されても仕方あるまい。
ただ、今だからわかるということが多い。早く読んだからと言って、理解はしきれなかっただろう。ある一つの道を見出して、その中でこの本を読んだとき初めて「認識」できるものが多い。
いくつかのキーワードを挙げる