2008年8月 1日 (金)

支笏湖から東京へ

Umideyarou 昨日は、F氏とI氏と共に支笏湖で未来を探究する合宿。バイクで行きましたが、毎度のことながら、やっぱりトラブルありました。例のごとくF氏のバイクは前日の時点でエンジンがかかりませんでした。翌日、充電した後出発しまし、何事もなかったかのようにショートツーリングを楽しみました。

その後は順調でしたが、彼は支笏湖に「半袖」で走ってました。(札教大は半袖が好きなのだろうか?)南区に入った時点で「寒くない?」とI氏は聞きましたが、彼は「寒くないよ」と。支笏湖周辺に入って、絶対に寒いと私たちは思いましたが、ノンストップで支笏湖畔まで走り抜けました。着いた時には「やっぱり寒い」と言ってました。こんなんばっかです。彼は。

さらに合宿場所の夕食は、なな何と!「海鮮丼食べ放題!」って丼ものをそんなに食べることができるわけがない・・・はずだった。しかし、I氏は海鮮丼はもとより、スープカレー、蕎麦まで食べた。相当きついだろうと思ったら、彼は言いました。「8分目でやめとこ」

ぬおぉぉぉぉ!!

驚きでした。その後、I氏は、何か躊躇する様子がありましたが、それは「まだ食べようか、どうしようか」を迷っていたようでした。これまた

ぬおぉぉぉぉ!!

驚きました。ちなみにビールも飲んでます。彼は。

部屋に戻ると、なぜか寒い。なぜかといえば、例のごとくI氏がすぐにエアコンのレベルをあげるから。そんな寒い中で色々と積みあがっている課題を検討しました。

さて、翌日。I氏は職場に戻り講習。私は一度自宅に帰るものの、荷物を持ち替えて千歳空港へ。そうそのまま東京へ飛びました。ちなみにF氏は休日です。

さて、そこで上の画像です。地下鉄に乗ると奇妙なポスターがありました。クリックして等倍にして観て下さい。

タイトルは「海でやろう」です。おわかりのように「駆け込み乗車は危険です。おやめください」が「駆け込みはおやめください」へ、そして「飛び込みは海でやってください」から「(絵から)海でやろう」に省略し、インパクトのあるポスターになっている。英訳「Please do it at the Beach.」と真面目に訳しているのも見事!

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2008年6月24日 (火)

東京研修3(I氏疑惑)

本日は、渋谷の迷路から始まった。ことの始まりは昨日の夕食から始まる。

昨日の研修会場への移動は、「地下鉄よりタクシーの方が早いようだ」とのことでタクシー移動でした。それでも明日は明日で地下鉄だな、などと話していた。それはそれで良いのだが、1日目の研修が終わり、新宿での夕食時、この研修を同行しているI氏は「やっぱり明日はタクシーでしょ?」と一言。やっぱり?どことどこが繋がって「やっぱり」なのかわからない。私は実際、どっちでもいいのだ。ただ、さっきまでは地下鉄って言ってたよな、ということが気になるだけだ。しかも「でしょ?」とこちらに判断を委ねている。

よくよく話を聞くと、雨模様とその暑さ、地下鉄の乗り継ぎ、暑い中での地下鉄の満員状態・・・そんな中から「やっぱり」と言ったらしい。

ただ、「満員状態」に地域差があると思われるので、あえてコメントすると、彼の言う「満員状態」は東京では普通の状態。彼は新宿に行くのに、「品川→浜松町」間の乗車状況を希望している。

まぁ、気が変わることもあるだろう、と店を出たら、今度は雨は上がっていた。このとき、また「やっぱり地下鉄でしょ?」と。当然私は唖然とする。どう答えてよいのか。「でも駅からの距離感がつかめていないから、大変かも」とタクシーを少し押してみたのであった。

で、翌日の研修は新宿だと私が勘違いしていた(実は渋谷)ので、家・・・いや、I氏は永田町から新宿までの地下鉄の乗り継ぎにも嫌になっていた側面があると思われる。で、「永田町から渋谷まで一本だったわ」と言ったところ、「地下鉄」と判断したらしい。理由を尋ねると「だってこれだよ」と160円の乗車券を私に見せてくれる。つまり、「金」だ!彼は初乗り720円のタクシーと地下鉄160円では全く違うと主張しているのだ。やはり彼は人生「金」が問題らしい。

簡単にやや省略して述べたが実際にはもっと複雑な話。彼は新宿から永田町に帰ることもタクシーがいいと言ったり、地下鉄がいいといったりと振り子現象を続けていたのでした。

ということで今日の朝は地下鉄で行ったのでした。

結果的には、タクシーにすれば良かった。渋谷から実践女子中高までの道のりは険しく、暑い中、疲れている中、でっかい歩道橋を渡り、坂道を登り、なおかつ住宅街をぐるぐる回って迷ったのであった。つまり、これが「渋谷の迷路」である。9:30スタートだったが、会場入りしたのは9:35。しかも、こういうときに限って、座席が不足している会場。私たちはテーブル無しのパイプ椅子。講演を聴くのに「テーブル無し」「メモ取れない」ってなしでしょ?しかも、暫く汗が引かず、学校の紹介をしているが、これがまた抑揚の無い話で何が強調点かが不明な話を延々と聞かされる。まったくもってエンジンのかからないスタートであった。

ただ、学校紹介が終わってからは、大変、刺激となることばかりが行われた。講演は、私学の立場での今後のあるべき姿勢を示し、大変共感したし、免許更新制についても新しい見解を得たように思う。さらには校舎見学。校舎の外観はビルディングだが、かなり学びやすい施設だ。

午後は授業見学。情報の授業だがこれも刺激的。年間通したキャリア教育とのドッキングでの取り組みが面白い。

ということで、充足した研修を終えたのでした。羽田から千歳へ。帰ってきたら千歳は雨が降っていました。I氏の雨男ぶりが伺えた。

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2008年6月23日 (月)

東京研修2

2日目。

研修は、本日は2つの講演と分科会。

1つ目は中央審議会委員の安彦忠彦。「新学習指導要領の狙いと私学教育」と題しての講演。今回の決定に至るまでの経過の説明だが、私学教育には全く触れていない。市川批判、苅谷批判もあり、彼に対する批判点はあるのだが、それでも「探求型」を「探求型+活用型」という細分化した考え方にはなるほど、と思わされたり、学習習慣については「伸ばすより維持する」、そして「持続発展教育」という新しい言葉もあったので、良い・悪いはともかくとして新しい切り口の講演であった。

2つ目は「学習指導要領の内容について」と題して文部科学省初等中等教育局教育課程課企画室室長の合田哲雄が講演。こちらはこれまでの学力論争についての「振り子現象」から「新学習指導要領」に至るまでの経緯(言い訳)と新学習指導要領の概要を述べたが、中学どまり。高等学校については秋以降に告知ということで詳細については全く知らされなかった。さて、本当に意味があったのか?

最後に、分科会。総合的な学習の時間の各校の扱いとカリキュラムについての意見交換。予想以上にどこの学校も総合をメインにしたカリキュラム・教育編成をしていることに刺激を受けた。ただし、参加するだけの意欲的な学校は、ということなのかもしれない。

ちなみに東京では「マイルドセブン・インパクトワン」は売っていません。知ってましたか?

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東京研修1

前泊である。19:55千歳発の飛行機でここまで来たが、気候は蒸しており、雨。かなり飛行機はかなりの揺れがあった。予報では台風というほどではないのだが、それはさておき、今回同行しているのは雨男。さて、帰ることができるのか?

都市センターホテルに宿泊だが、ここは永田町のど真ん中で、この雨の中での移動は困難を極めた。向かいには汚い(整理整頓がされていない)ファミリーマートがあるのがせめてもの救い。

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2008年3月29日 (土)

研修_東京大学

研修だが、これまでは職場の出張という形で旅費が支給されていたのだが、年度末ということもあり、自費での研修参加となった。この研修は東京大学で実施された。

講演1:「新指導要領における学力問題」佐藤学氏

かなりタイムリーな話題。愛国心関連の報道がされたばかりだ。しかし、この研修はそういったイデオロギーに対する集会ではないので、教育の本質的な講演となる。新学習指導要領の問題点は「知識基盤社会への対応」という新しいものの取り入れと、「伝統、愛国心」という古いものの取り入れを同時に内包してしまっていることにある。これは、子どもに向けて発した指導要録ではなく、世論に向けて発せられた指導要録であることを意味しており、大きな矛盾となって今後あらわれてくることは必至であろう。また、ここで印象的だったのは、質(quality)と平等(equality)の必要性についてであった。佐藤学氏も質と平等は同時に追求できると考えていたが、平等のもとで、質を追究しなければ、質は高まらないという現実である。これは私にとって今後、大きな命題となる。

講演2:「数学の力」岡本和夫氏

数学は何のために学ぶのか?ということを中心とした講演であった。「活用する」という点の強調であったが、ここでは専門的になるので割愛する。しかし、ユニークで面白い数学者であった。

学校改革の報告:東京大学大学院生

東大の大学院生が、「学びの共同体」の取り組んでいる学校にインタビューと見学を経て、まとめたものをプレゼンテーションした。小学校1校、中学校3校、中等教育学校(中高一貫校)1校、高校1校の計6校の発表となった。内側から見たものではなく、大学院生という外側から観た報告なので、(深さは別にして)非常に客観的な評価であり、短時間で多くのことを知ることができた。

パネルディスカッション:「質の高い学力を求めて」

結果的に私にとって、ここが今回の(今年度の)最大級メインとなった。各校の校長などがこれまでの取り組みの成果などを希望をもって語った部分でもあるが、それが重要ではなく、失敗もしたし、現在も完璧ではない、そういった不完全ではあっても前進している取り組みの状況を知ることができた。また、参加者はおそらく、そういった取り組みをしたいと思っているが、職場での合意が獲得できないことに対するジレンマを持っており、そういった悩みを解消したい想いもあったのであろう。それはそうだとも思う。全く「学びの共同体」を知らない教師が、このシンポジウムに参加しようとは思わないであろう。この多忙な年度末に200名を超える人が集まったことは奇跡的だが、取り組みたいと考えている人が200名もいることも奇跡的だ。私もどう取り組みを広げていくかということに関するヒントを与えられ、また、他校よりもより可能性の高い職場に希望を持つことができた。

非常に私にとって重要なシンポジウムであった。

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2008年2月25日 (月)

東京出張5

ここからは帰りのことに絞って記述しよう。

さて、土日に大雪と地吹雪に見舞われ、大変な天候であった北海道。その影響は計り知れない。

まず日曜日の朝。3名の予約した飛行機が欠航。2名は乗ったが、困難な中での着陸。15:30初のY氏はどんどん飛ぶ時間が変更されていくという不幸に見舞われた。18:30の時点で彼は宿泊に切り替えた。

私は18:05の飛行機だが、結局飛んだのは21:20。これも混乱があった。日本航空が搭乗口案内を間違ってディスプレイに表示。札幌行きが重なる中で、便の番号だけが頼りになるので、致命的なミスと言える。そんな混乱の中で、ようやく、と思いつつも着陸したのは、およそ3時間後の23:10。そして荷物を待つのだが、これも混乱。たまたま中学校の吹奏楽部が荷物を預けていたので、延々と吹奏楽部の機材が回り、私の荷物が出たのは23:50。そこから近くの駐車場へ行き、自家用車を運転して帰宅したのは01:00。札幌の雪が2倍に代わっていることに驚いた。

自然の力は偉大だ・・・とまとめておこう。

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東京出張4

今回の出張のもう一つの訪問先、それは大学時代にお世話になったキリスト教会への訪問だ。久しくこの教会には訪れていなく、お世話になった牧師には面会せねばと思い、訪れた。大学時代に初めて行った時から数えて20年となる。

礼拝は申命記15・11とマタイ26・6-13。この申命記の記述を下敷きに、マタイの伝えるエピソードがある。これを私に戻して捉える事が出来た。まさに、この新自由主義・市場原理主義の中で、このマタイの記述がとても重要なことと再認識させられた。私たちは頭に香油を注ぎかける視点が必要だ。

昼食はデニーズで旧友との語らいの時。デニーズ自体が久し振りだ。

午後は、お世話になった牧師先生宅にお邪魔し、語りあうことができた。心の底で信頼し、尊敬することができる、そんな人とのひと時は心が洗われるというか、原点回帰できる時となった。

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東京出張3

ドラマ盛りだくさんで、書ききれないのだが、今回は2日目夜の宴について記す。

新宿宿泊地ワシントンホテルでの宴を考え、「釣りのできる居酒屋」へ19時集合したが、3時間待ちとのことで、急きょ住友ビル内の「くう」へ電話し、予約。ラッキーにも19時45分で予約できた。

さて、この「くう」での宴の話題だが、様々ある。車の中で同僚マネを練習している話もでたが、最大の焦点は「店員に横柄なF」。Fは店員に対して横柄であるように「見える」ということ。この「横柄」ということに関して、Fは否定していたが、その話の直後、店員が石焼ごはんを配膳してきた。店員は「お混ぜしましょうか」と尋ねてくれたので、「ぜひ」と私は混ぜることをお願いした。そして、「石焼ごはん」を混ぜてくれていたところ、店員がご飯粒を3粒ほど「こぼして」しまった。その瞬間、Fは指を指して「あっ」と・・・その次の瞬間、彼は“まずい”という「顔」をした。この「顔」をTは見逃さなかった。その後いろいろと言い訳を付け足していたが、直後の「後悔の顔」は、そのすべての言い訳を飲み込んでしまった。

彼はとても後悔している。今後に期待せよとのこと。

補足)Fの名誉のために弁明しておくが、この「横柄」さが、大阪人のコミュニケーションのひとつらしい、ということが現在までのところ有力な仮説となっている。

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2008年2月23日 (土)

東京出張2

本日は、朝からトラブル。それは朝食時に起きた。

ホテルから学校までの距離感がつかめない中での時間設定だったのだが、実際の距離は2km程度。そうすると、タクシーで10分かからない。しかし、新宿駅経由で考えた場合、全く時間が掴めないので、1時間をとって、8時集合としていた。

で、「8時半にタクシーで行こう」と朝食時に提案しようと思っていたのだが、すれ違い。朝食を摂らずに8時に集合した人もおり、結局上手くいかなかった。T、N、Yには悪い事をした。

ホテル発8時35分、学校到着は8時45分。やはり近かった。まだ受付が始まっていないので、グランドを拝見。3間口6学年だが、さすが東京。狭い!ハンドボールが盛んなのかな?

さて、まずは開会。ここで副校長が登場したが、お決まりの挨拶。問題はその後、金子元久氏が登場!「おおー!」と叫びたい気持ち。教育学部学部長ということもあるが、「大学の教育力」という本を執筆し、新聞でも教育情勢の動きがあればコメントを求められる方。基本的な「学びの共同体」づくりについて述べ、情勢的には国内の現場の教師と教育学者を無視した教育政策が最も危険だという。もっともだ!新自由主義の広がりを改めて想う。

さて、公開研究授業を拝見。私が見学したのは中学3年生の「統計」と高校1年生の「数学A・平面図形」。

ここで注意だが、一般的な公開授業と異なり、「学びの共同体づくり」の教育実践では、教師の発問と生徒の学びへのジャンプが見どころとなる。4人1グループの中で何が話し合われているか、誰がジャンプしていくのかを見学する。グループ分けはしっかりと男2人女2人。しかし、まだ熟していないのだろう。生徒の方が緊張してしまう場面も見られる。「飛ぶ男、繋ぐ女」と言われるが、見ていると、「飛ぶ女、つなぐ男」という感じだ。男子が自分を出せているのかどうか不明。「統計」において、分散と標準偏差のアプローチに刺激を受ける。「平面図形」では9点円について触れたが、ここまで複雑なものを考え合うことができるかどうかについては未知数。やってみる価値はあるかな。

午後は教科ごとの研究会。授業とカリキュラムについて。中高一貫の強みもあるし、特定の学年には少人数制を敷いているのは参考になる。そして「グループ学習」と「学びの共同体」の違いについての質問が出た。これに明確に応える人がいなかったのだが、私は個人的には全く異なると思っている。形式的には同じだが、求めているものが違うということだ。今日の授業研究も「教授法」ではなく「学びのプロセス」を見学したのと同様に、方法論の問題ではない。「グループ学習」は共同体的響きが無く、形式的に広がっていけば、逆効果だとさえ思う。グループはリーダー以外が受け身であってもグループ学習となるからだ。一方、「学びの共同体」は共同体(グループ)が能動的に全員が学ぶ到達点を意味する。全く異なる営みであることは私自身、意識したい。一番印象に残ったのは「学校文化」。これは非常に重要なキーワード。学校文化という意味では、本学園は優れている。その土壌に「学びの共同体」を載せることができれば効果は他校よりも高いはずである。

最後に講演会。ここで、佐藤学氏の講演だが、プレゼンテーションと共に説明される内容は、これまで著書で読んでいたものから一歩進み出ている。これは文科省の動きが出てきたことによる対応であろう。今年はまた本を出すのかな、と思う講演内容だった。これは細かく整理していきたい。

私自身も学びの時を持つことができ、至福の時とも言える研修であった。今後の取り組みに生かしていきたい。

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東京出張1

今日は、17時に職場を出て、19時のフライトで羽田へ。7人の研修旅行。

ここでJALに文句を言いたい。自動搭乗手続きは6人までしかボタンが無い。従って、6人以上は分割となる。3人と4人に分割したのだが、これまた席の選択肢が無い。手続きが遅いから、残った座席は選択できるだけ無かった、というのはわかる。だからと言って・・・「おまかせ」ボタンを押すと・・・結局・・・7人がバラバラに適当に配置されたではないか。これにびっくり!一括で搭乗手続きをする意味が無いのだ。であれば一人ひとりが手続きすればよろしい。JALよ、効率化だけ求めるなかれ。プログラムの応用性も乏しいかな。

羽田からは、新宿までバス。夜の東京タワーを眺めながらの東京バス観光は初めて。なかなか美しい。バスは色々乗り換えなどをしなくてよいし、ホテル前でバスが停まるから嬉しい。

ワシントンホテル着。ここで問題が生じる。新館か?本館か?バスが停まったのは本館前。当然、本館のフロントへ行くわな。しかし無残にも私たちは新館ということで移動。新館にて手続きをしてようやく部屋でくつろぐのだった。

部屋のデザインはモダン、と言ったらいいのか?今まで泊まったこともないようなデザインの部屋。広さはシングルの普通の広さだが、広く見せる工夫がされており、一見広く感じてしまう。

近くのコンビニへ飲み物を購入に。しかし、暑いので、私はTシャツで行った。部屋の中はもとより、外も全く寒く無い。むしろ暑いのだ。どうなっているんだ地球は!と思いつつ、ローソンに入るが、地球がおかしいとも言えないようだ。見る人全て、Tシャツはもとより、上着を着ていない人はいない。奇異な目で見られつつ、購入を終えホテルへ。

明日は、研修です。本館25階の朝食の選択肢もあるのだが、すぐに出かけるので、新館で摂ることにした。仕方ないな。

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2007年1月 5日 (金)

舞鶴

母が満州(奉天)からの引揚者であることから、リリーフランキーの「東京タワー」や、藤原ていの「流れる星は生きている」、江戸川乱歩賞を受賞した鏑木蓮の「東京ダモイ」という本にインスパイアされ、満州や舞鶴という場所(東京ダモイはロシアだが)を意識していた。

今回、舞鶴に共に訪れることとしたのは、話は聞いていてたが、色々と思い出すこともあるだろうと思い、実際に足を運ぼうと考えた。しかし、今回の旅は予想以上に得るものがあった。勿論、思い出したこともあるようだが、聞いていなかったことも多く、それは現地に近づけば近づくほど、その話はリアリティが出てきた。

まず、引揚記念館だが、ここは資料が豊富だ。しかし、そのときに日本人が写真が撮れるような裕福な人がいたわけではないので、ロシア人やアメリカ人の写した写真が中心となるので、特にロシアで日本人が酷使されているような写真は無い。ただ、母親は満州から直接舞鶴へ引き揚げたが、細かい日付の記録(当然、母は日付まで覚えていない)をなぞり、その記録が無ければ私もいないんだな、と改めて考えさせられる資料であった。写真は施設の正面で、移っているのは母。


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次に、記念公園。これをどう維持できているのか不明。美しく管理されており、まるであの引揚の苦難が無かったかのような施設。写真上は公園ではなく、公園から引揚の湾を見渡すことのできる展望台みたいな部分。写真下は「岸壁の母」(この歌が常に流れている)の詩を記念碑としたもの。


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実際に、引き揚げが行われた場所に下りてみた。小さい記念碑(桟橋)があるのだが、実際のものではない。殆どは工場となってしまい、面影は無い。


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さて、場所を大きく変えて、「レンガ博物館」ここは世界中のレンガが展示されており、土木の勉強になる(レンガの積み方などの勉強もできる。レンガパズルもあるので小学生も遊べるだろう)。レンガが立ち並ぶこの辺の地域は映画撮影にも使われている。


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次は、昼食、ここは「牡蠣丼」が名物化しているとのことで、牡蠣丼を食べに行った。不思議なのだが、牡蠣独特の臭みが無い、まさに旨い牡蠣丼であった。900円也。


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その後、市内を回ったが、これで体力的にも、時間的にも限界。程よい疲れを覚えてホテルにチェックイン。このホテルはJRに押さえてもらったのだが、7階から湾を見渡す素晴らしいロケーション。一番高い部屋だった。

さて、また食べる話だが、ここでは「肉じゃが」も発祥の地とされる。その肉じゃがを扱っている割烹料理なんかは無いかとwebで探したら、近くに相応しい店があったので行ってみると、相応しいどころではない。かなりきっちりした、頑固職人の親父とその息子がやっている店で、かなり落ち着いた、バブル時にはよくテレビドラマに出てきたような京料理の店であった。食事は雰囲気的に写真を撮れなかった。


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2006年8月 5日 (土)

京都駅

いよいよ京都ともお別れです。

さて以下の2つの不思議な写真。

左は、京都タワーの英雄です。恐らく団長は一度足を運んだほうが良いでしょう。

右は京都駅構内。とてつもなく長い階段があるのですが、上から撮影した写真です。

エスカレータもあるので、何のためにこの階段が存在するのかわかりませんでしたが、ここでは一番下をステージにした催し物を行うそうです(現地の人談)。

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2006年8月 4日 (金)

史跡めぐり15

同志社大学です。

新島ルーム(NeesimaRoom)というのが同志社大学内にある。その1階には入試課があるので入試課にも立ち寄って挨拶をした。将来的には進学する生徒が出てくれればよいが・・・。

新島ルームは非常に綺麗に保管されている。他に新島遺品子庫というのもあるのだが、一般公開されておらず。

ちなみに京都御所には新島旧邸というのがあるが、そこには立ち寄らなかった。

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2006年8月 2日 (水)

京都入り

鴨川です

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2006年7月31日 (月)

史跡めぐり14

青山学院大学・青山女子短期大学

街のど真ん中です。写真は、ジョンウェスレーで正門にそびえ立っている。

※John Wesley, 1703年6月28日 - 1791年3月2日、英国生まれ、産業革命の進展に伴う社会の急激な変化の中で、政治経済的に、また思想的に、精神的に混乱する人々を救って、メソジスト教会の始祖とされた人。

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2006年7月29日 (土)

史跡めぐり13

明治学院大学

 入試課に行ったのだが、それにあわせて、資料館にも立ち寄った。すばらしく資料が揃っているわけではないが、ヘボンやフルベッキについての資料を見ることができた。

 北海道のように雪対策は必要ないというのもあるのであろうが、建造物はさすがに重みがある。Meigaku1 Meigaku2

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2006年5月31日 (水)

史跡めぐり12

百年記念館

1階は草創期のもの、2階は各校のものが展示されている。パンフレットが作成されているが、それが各校に下りていない。運営は学園財政、窓口は女子ということになっているようだが、何かがおかしいと思う。敷地内にあるから仕方無いのだが、本部があっただけに、学園のものと女子のものが厳密な意味で区分されていない。北大からもらったといわれるライラックも女子のものなのか、学園のものなのか?

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2006年5月27日 (土)

史跡めぐり11

北海道大学

いよいよ、札幌バンドの本拠地、北海道大学に踏み込んだ。しかし、広い!かなり疲れましたー。ここまで来るにも紆余曲折ありました。

さて、北海道大学ですが、今年創基130年(H学園は120年)ということで、スタプラリーのシートやキャンパスガイドマップなるものがいただけます。ただ、今までの史跡とは異なり、学業・開拓を中心にした史跡となり、キリスト教色は薄くなります。札幌市が創っているのだから、当たり前といえば当たり前ですが・・・

1)新渡戸夫人のハルニレ

新渡戸夫人が北大にハルニレ24本を寄贈したそうです。新渡戸夫人はアメリカ人ですが、その遺産が1890年代に送られてきたようです。相当な額のようで、このハルニレを寄贈したのと、その資金で遠友夜学校の運営を行ったようです。新渡戸が偉大なのか、新渡戸夫人の財力が偉大なのか・・・・^_^;

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2)佐藤昌介の胸像

やはり偉大なのでしょうね。入ったらすぐにあります。

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3)クラークの胸像

ご存知、クラークですが、やはり「Boys be ambitious!」と書かれておりました。

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4)新渡戸の胸像

こちらも「太平洋の架け橋とならん」という意味の英文が刻まれていました。奥がポプラ並木なのですが、非常に粗末なところに像があります。可愛そうです。

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5)ポプラ並木

丁度、新渡戸の胸像の隣から入っていくのですが、台風の影響により、なくなってしまっているポプラもあり、その注意書も看板にされている。雰囲気はやはり絶品。但し、キリスト教とは無関係です。

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6)札幌農学校第二農場(重要文化財)

写真で観ると大したこと無いようだが、ここの雰囲気は凄い!タイムスリップした感じだ。昔は、キャンパスに無造作に置かれていた建物だが、全て移転し、集中させたようだ。私が高校生の頃、北大附属病院に入院していた頃、トイレの窓から見えたくらいだから、相当、その当時は粗末に扱われていたに違いない。これもキリスト教とは無関係です。

この3つ目の写真が高校生のときから疑問だった。なぜか、2階に扉があるのだが、階段は無い。何かを捨てるだけのためにあるのか??

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7)遠友学舎

新渡戸にちなんで、ということで125周年記念事業として建てられた。利用は地域社会と大学との交流の場になることを目的としているが、中には入りにくい雰囲気で入らなかった。カレー屋さんの「じかん」を上がっていくとすぐ見える場所で、北大敷地内で一番北の方にあたる。

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8)百年記念館

こちらは展示がある。佐藤、新渡戸、宮部などの資料があるのだが、内村は無い。なぜか公的な組織は内村を誇りとして扱おうとはしない。佐藤も新渡戸も胸像があるし、宮部は植物園に資料館がある。しかし内村は、宮部に宛てた手紙が宮部の資料館にあるだけである。札幌に内村の痕跡が無いというのが気になる。意図的なのか?

3枚目は新渡戸のスケッチだが、なぜ展示?と 疑問。

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9)食堂のメニュー

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フィールドワークの検討材料として色々とまわってみたのだが、色々とありすぎて迷ってしまう。果たして生徒にとってどのコースで見るのが良いか・・・?要検討というところだ。

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史跡めぐり10

黒田清隆とケプロンの像(大通り9丁目)

札幌農学校の目的は、北海道に近代技術を導入、開拓の指導者を養成することにあった。しかし、教育科目は農学・工学のみならず、英語も重視。また、「日本を担う若者の道徳教育にも力を注いで欲しい」との黒田の願いがあった。「玄武丸」上で、その旨をクラークに伝えると、クラークは「聖書を用いて教える」と言った。黒田は困惑し「聖書を用いてはいけない」と反対。クラークは「真の道徳教育は聖書なしにはできない」と主張。二人の論争はたがいに譲らず決着は小樽までつかなかった。しかし、のちに黒田が「大っぴらにやっては困るが……」と、譲歩したという。大通り西10丁目には黒田清隆の像があるが、決して讃えるという意味ではなく、クラークと共に道内入りした歴史を覚える意味で書き込んでみた。だから写真は撮らなかった。

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史跡めぐり9

有島武郎文学碑(大通り公園西9丁目)

有島武郎(1878~1923)は近代文学・白樺派を代表する作家。1896年に農業へのあこがれにより、東京から札幌農学校予科に編入学し、母方の伯父である新渡戸稲造宅へ寄宿。札幌生活を送るうちに、有島武郎は札幌を「真生命の故郷」という程、札幌を愛するようになります。その後、東北帝国大学農科大学(旧札幌農学校)の予科教授に招かれ、大正3年に妻の病気で帰京するまで札幌に在住し、教鞭を執りつつ、執筆活動を行っていたのでした。
 代表作は「生まれ出づる悩み」「カインの末裔」「小さき者へ」などです

彼は途中でキリスト者を放棄します。なぜか、までは調べられていません。すみません。

ちなみに、この記念碑の文字は同じ白樺派の「武者小路実篤」の字であります。

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史跡めぐり8

宮部金吾記念緑地(北6西13)

北大植物園の初代園長であり,札幌市名誉市民第一号である宮部金吾博士の晩年の居住地を,都市緑地として残したものだそうだ。普通の公園なので見過ごしてしまう。

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史跡めぐり7

佐藤・新渡戸記念寮(北7西18)

佐藤とは佐藤昌介、新渡戸とは新渡戸稲造である。1927年に「巌鷲寮」として札幌農学校学生のために作られたのが原型。現在は、札幌ではあまり知られていないのだが、青森・秋田の人が優先的に入ることができる寮。月額5万7千円で朝夜の食事つき。かなり建物自体も質がよさそうで、お得な物件である。

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Kinenryou

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2006年5月21日 (日)

史跡めぐり6

北海道開拓の村

昨日の続きでもあるのだが、教会の礼拝が終わった後、札幌バンドの痕跡の何かがあるかもしれない、と思い足を運んでみた。痕跡があったなら、宗教部のフィールドワークだけでなく、遠足でも使えるのかもしれない、と考えたのだ。入村料は830円、駐車料金は300円、と割高である。

キリスト教の痕跡を残していたのは、以下の4点。

①旧浦川公会会堂

当時、学校、兼、教会ということで、開拓者リーダーであった「澤茂吉」が熱心なクリスチャンであったためであるという。しかし、これはキリスト教界でも知られているわけではない。

赤心社について:http://www.iword.co.jp/iword/s97_12.html

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②旧有島家住宅

ご存知、文学者・有島武郎である。彼は札幌農学校を卒業して(北大校歌は彼が作詞)、そのまま教鞭をとるのだが、同時に、母方の伯父である新渡戸を引き継ぎつつ、遠友夜学校の代表となったときもあった。ちなみに芸術の森にも「旧邸」、ニセコに記念館(ニセコにあるのは所有する農場を解放したため)、大通り西9丁目に「記念碑」がある。

クラークから佐藤昌介へ、佐藤昌介から内村・新渡戸・宮部へ、そして新渡戸と有島が繋がり、、有島と「木田金次郎」が繋がる。さらに文学思想の側面からは、「小林多喜二」(三浦綾子「母」の主人公)に引き継がれるという、恐るべき北海道の伝承が生まれていくのである。

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③旧福祉家住宅

北海道の地図を最初に書き上げた人だが、クリスチャンでも何でもないようだ。書き上げた地図が掲示されているが、これが100年前に「手」で書かれたとはとても思えない。で、もう一つ。同志社を創設した「新島襄」との交流があった。函館で脱国の際、ベルリン行きの船に仲介したのは福士であったという。掲示では一緒に撮った写真と書簡があった。ボーっとみていると見過ごす。

福士と新島の関連http://theology.doshisha.ac.jp/nomoto/niishima/PR761.html

Fukushi Niijima01

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④旧北海中学校

なぜ、北海?と思うが、政治力なのであろう。しかし、戦後教育改革や憲法、さらにはアイヌ民族のために労苦したバチェラー宣教師の写真が張り出されている。しかし、バチェラー宣教師については、写真が貼り出されているだけで、何の説明も無いのはどういうことか?わからん。

バチェラーについて:http://www.jinken-net.com/old/tisiki/gozonji/2001/go_0103.html

Kyouiku Kyoukasho

Ainu

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2006年5月20日 (土)

史跡めぐり5

時計台(北1西2)

時計台は札幌農学校の演武場で、新渡戸なども利用していたから、当然、クラークはもとより、新渡戸、内村、佐藤、有島らの写真などが掲示され、説明がある。注目すべきは、H学園理事長であった時任正夫の父である時任一彦の写真も掲示されている。時任一彦15期生だが、新渡戸が留学から戻り、札幌農学校で教鞭とっているときに新渡戸に教育を受けた人である。ただし、その説明は、時計台には無い。

時計台の二階はまるで礼拝堂のようです。十字架こそないが、正面には五稜星アーチが再現されている。北極星をイメージしているのだという。

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Tokitou

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史跡めぐり4

北大植物園(北3西8)

宮部金吾記念館

ここには宮部金吾の記念館がある。遠友夜学校は期待していなかったが、期待よりも資料が多かった一方で、しっかりした資料があるであろうと見込んでいたこの記念館は、宮部の資料の四分の一が内村からの郵便物だった・・・

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ライラック

案内には、スミス女史のことが記載されてある。

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Plants

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史跡めぐり3

北一条教会(北1西13)

北海道のキリスト教史では繰り返し登場する教会。森林公園に、同じ教派の教会があるが、日本キリスト教会という教派。駐車場が無いのがネック。

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史跡めぐり2

札幌独立基督教会(大通り西22)

新渡戸稲造、宮部金吾が支えたという無教会主義キリスト教の総本山となる札幌独立基督教会。入れれば入ったのだが、空いていなかった。ちなみに翌日礼拝の奨励は「大友浩」(前H大学・学長)であった・・・

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史跡めぐり1

遠友夜学校(南4東4)

レッツ中央の中に設けられているのは、実際にここで教育が行われたことによる。学校の代表者には宮部金吾、有島武郎の名が観れる。また、H学園理事長であった時任正夫氏もここで教鞭をとられた。みすぼらしい資料館かとおもったが、想像以上に充実した資料となっている。Enyou01 入り口には銅像と記念碑があるが、普通に通過すると見過ごす。





Enyou02

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